三千百二十五(うた)空振りの鈴木大拙
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
二月十八日(水)
楞伽経と禅宗史について検索したところ、鈴木大拙の全集が三冊見つかった。読み終はった感想は、期待外れだった。根拠なく意見を述べただけ、と云ったところか。楞伽経とは無関係の他の章を幾つか見たが、同じだった。
鈴木大拙は、英文で禅を紹介したことで有名だ。しかしそれを以って、日本で高く評価をしてはいけない。西洋人が高く評価するのならよい。
小生と鈴木大拙に、仏法に対し大きな差がある。小生は、三学を重視、つまり禅は三分の一だ。鈴木大拙は、禅がすべて。
もう一つ鈴木大拙は、南伝仏法への言及がない。これはまだ、日本国内に南伝仏法が知られてゐなかった為か。
三冊の全集は、第二十七巻、第三十一巻、第三十二巻。後ろのほうなので、前はどうかを知るために、あと何冊か予約をした。
禅宗の中でも特に臨済と関係深き大拙を読む
反長歌
禅宗は不立文字が特色に 教義複雑する前の 原始の教へ香りを残す
反歌
大拙は理屈が多く禅宗と仏の道に逆らふ人か
二月二十二日(日)
新たに、全集を四冊借りた。第一巻は
盤珪禅師の不生禅は禅思想史における最も注意すべき事項の一つである。(中略)その不生禅なるものにおいて、始めて達磨大師以来の創見が唱道せられた。
そこまで云ひながら、不生禅の本体を云はない。能書きばかりで肝心の薬がない。別のところでは
日本禅における三つの異なる異なつた思想類型と(中略)云ふは、道元禅と白隠禅と盤珪禅である。
日本の曹洞宗と云へば道元と思ふ人が多い。しかし道元と瑩山を両祖と呼ぶことで明らかなやうに、道元は絶対ではない。白隠と盤珪は臨済宗妙心寺派だ。分けるなら、曹洞禅と臨済禅だ。
「師示衆に曰はく、人々いきてはたらく活仏心[不生]を知るべし。(中略)坐禅は本心[不生]の異名にて、(中略)坐の時は只坐したまゝ、経行の時は経行のまゝなり。(中略)人人仏体[不生]にして、一点も迷ひなし。(以下略)」(語録、頁一〇二)
ここでは不生と云ふ字が出て居ないが、「活仏心」、「本心」、「仏体」等何れも其義である。
これでは、盤珪以前に膨大な数の人々が云ったことと同じで、追加するものが無い。
二月二十四日(火)
第二巻は、読む価値がある。第一篇に
般若とは没分別の智慧である。直観を可能ならしむるところのものである。
赤字は、意見が異なる部分だ。人により、経典で得る人と、禅に含まれる慧の部分で得る人がゐる。
清浄禅は黙照禅の前身であり、般若禅は看話禅の先駆であると見てよいと思ふ。
ところが
達磨から弘忍までは此対抗は余り目立たぬやうであつたが、慧能・神秀等の頃に至りて、(中略)仏教界を聳動するほどになった。而してこの意識的分裂によりて、禅宗そのものの基礎がまた固まるやうになつた。処が、慧能系の人々が般若を重んじ頓悟を宗とし、従つて語言文字を排斥した結果が、(中略)二つの流れとなつて(以下略)
赤字の部分は、理解不能だ。漸悟で楞伽経の神秀と、頓悟で金剛経の慧能。どちらの門流も、皇帝の廃仏で滅んだが、慧能の門流は復活しそこから、黙照禅の曹洞宗と、看話禅の臨済宗が、日本に伝はった。大拙は臨済で各所に臨済変重が見られるが、この解釈は根拠不明だ。
第三篇に入り「道信の禅思想」だ。
禅として知られて居る仏教の一派は、「第六祖慧能」の所説を基礎として、(中略)この見方は(中略)妥当と考へられるから(中略)達磨から慧能までの思想的連鎖の一環(中略)第四祖道信の所見を(以下略)
とある。
定慧の問題が特に慧能の時代にやかましく取り上げられたのは(中略)道信のときに兆し始めた先定主義が弘忍に至りて強調せられ、(中略)神秀一派の所謂る北宗と(中略)なつた。先定主義は漸修主義でもあり、また定慧二分論でもある。
先定主義とは、定が先で、その次が慧である。小生は、これが正しいと思ふ。ところが大拙は
慧能は反対せざるを得ないのである。禅は実に此反対によりて今日尚その生命力を維持して居る(以下略)
大拙は、とんでもない偏向者だと分かる。大拙は更に
禅定と智慧とは六波羅蜜中に収められて居て、印度における仏教思想史上には大切な項目となつて居る。が、考へて見ると、定と慧とは同一範疇に入れおくべきものではないのである。定は六波羅蜜の他の項目の如く実践面において意味をもつものであるが、慧の如く人間に本来具はつて居て、人間をして人間たらしめる働きではない、徳用ではない。
慧は、本来備はった分だけではかなり不十分なので、他の項目と同様に向上させようと云ふものだ。そんなことも分からぬとは、大拙は本来備はった分も、普通より足りないやうだ。大昔から伝はる三学と六波羅蜜を破壊しようとする、とんでもない男であった。先ほど、読む価値があると書いたのは、冒頭だけの誤解だった。
人間に本来備はる慧のみでは足らざる故に 戒定の上に努力で追加する三学こそが仏の基本
反歌
大乗の六波羅蜜を破壊する大拙南北両伝の敵(終)
「原始仏法を尋ねる」(二百十四)
「原始仏法を尋ねる」(二百十六)
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