三千百五(うた)短編物語(秀長病死せず)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
二月三日(火)
第一章 秀長病死せず
豊臣秀吉の弟、秀長は兄を補佐し、豊臣体制の安定に寄与した。そして、秀吉の小田原攻めの頃から病気になった。北条が七月に降伏し、秀長は翌年一月に病死した。
今回は、秀長が病死しなかったらどうなったか、の物語である。
秀長が病に倒れ 豊臣の政権までが倒れると 多くの人が考へる しかし諸悪の根源は秀吉狂ひ一族滅ぶ
反歌
秀吉は一族犠牲兵士たち同じく死傷国の内外
反歌
関ケ原大坂夏と冬の陣その遠因は秀吉に在り
第二章 秀吉発狂
秀吉が発狂したのは、小田原攻めが終はったときだった。秀長に対し、鶴松への相続を横取りするのではないか、と疑心を持つに至った。
そして鶴松が病死した。秀吉は、秀長が呪詛をしたのではないか、と逆恨みするやうになった。秀長の子は一男二女で、このうち男子は与一郎で、那古野因幡守の娘を娶ったが、まもなく病死した。
ところが秀吉は、隠し子がゐるのではないか、と疑ふやうになった。そのため秀長は、丹羽長秀の三男を養子にしたが、これにまで秀吉は干渉し、秀吉や秀長の姉、智の子を養子にさせ秀保と名乗らせて嫡男にした。丹羽長秀の三男は、藤堂高虎へ養子に出された。
秀吉自身は、同じく姉、智の子を秀次として養子にした。これで秀長一族に抑へが効く。
第三章 秀頼誕生
淀君にまた子が生まれた。あれだけたくさんの側室を持ったのに子が出来なかった秀吉である。淀君に、一人だけなら稀の現象だが、二人目となると秀吉の子ではない。
それは秀吉も分かってゐたのだらう。だから狂暴になり、秀次は切腹、一族は斬首になった。
第三章 秀長家中
秀長の家中は、大騒ぎになった。利休は既に切腹、秀次も切腹。次は殿の番だ、と皆が心配した。そして心配は的中し秀吉は、秀長と秀保に切腹命令を出した。
利休、秀次、秀長と秀保と、四人が切腹させられたのは、秀長への嫉妬が始まりだと、皆が噂した。秀吉は、朝鮮出兵と云ひ、淀君の二回の出産を真に受けるなど、完全に狂った。それに対し、秀長殿には理性があった。太閤は、さう云ふ弟が真に嫌ひだったのでせう。
秀吉は出自の血筋絶やすため 姉と弟一族を切腹させて男系を絶つ
反歌
淀君は不倫の血筋絶やすため大坂城を枕に消える(終)
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