三千四十二(うた)1.三学の発展形、2.部派と大乗を隔てるもの
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月十五日(月)
三学に拝を加へてもよい。とは云へ、昔から三学として決まったものなので、そこに当てはめると「定」だと前回述べた。「定」には、静める「定」と、活性化する「定」がある。これは止観のうち、「観」の大部分は「定」、「観」の一部は「慧」、の前者に対応したものだ。
さて、大乗仏法のうち鎌倉仏法と云はれるものは、ほとんどが「拝」だ。しかし大乗仏法にも、その前は止観があった。今年の五月から六月にかけて三蔵法師の書籍をたくさん読んだが、インドの部派と大乗の違ひは、経典の違ひと見た。つまり止観などの修行は同じだ。だから部派と大乗を兼学のお寺も多かった。
三蔵法師が書いたとされる書籍の中に、部派を悪く云ふものが一部ある。これは三蔵法師の弟子が書いたものと推定した。唐土では、原始及び部派経典は重視されなかったが、それは修行を引き継がなかったためだ。とは云へ、戒と止観はきちんと保った。
部派時代の経典は、論理的だ。別の言ひ方をすると、心理学的だ。大乗経典も、初期のものはさうだらうが、哲学的になり、更に空想的になった。そして非現実的になった。小生が法華経を嫌ひなのは、地から菩薩が大量に出たり、地から仏が現はれて眼から光を放ったりと、おとぎ話過ぎる。
そして、此の経を誹謗すると頭破七分だなど排他的になる。排他的になるのは、経自体がおとぎ話的になるためではないだらうか。しかし大乗経典を信仰する人たちを見捨てない為に、経典は止観の手段だ、と主張してきた。
排他的無視はいけない仏法と逆 経典は止観の手段人に合はせる
十二月十七日(水)
部派と大乗を兼学のお寺が存在するとなると、両者を隔てるものは何だらうか。それは天竺から、西域を経て、唐土へ入った後に、唐土では部派の経典を軽く見た為だった。とは云へ、三蔵の語があり、ましてや天竺まで往復した玄奘が、三蔵法師と呼ばれたのだから、経蔵と律蔵は共通と見るべきだ。
部派と大乗の違ひは論蔵だったが後に、大乗の論蔵が大乗経典になったのではないだらうか。天竺のナーランダー僧院は、玄奘が訪問した時は、部派と大乗の兼学だった。そののち密教が現れたときは、部派と大乗と密教の兼学だったのだらう。
天竺は部派に付加して大乗へ更に加へて密教へ しかし左道へ堕ちるものあり
反歌
唐土は三蔵の語はあるものの大蔵経や一切経へ(終)
「原始仏法を尋ねる」(二百一)
「原始仏法を尋ねる」(二百三)
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