三千十七(うた)短編物語「狭軌と標準軌は台車交換で」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月三十日(日)
第一章 軌間可変電車の失敗
新幹線と在来線を直通するために、軌間可変電車の開発が進められた。東急と京浜急行のやうに在来線どほしなら可能だが、新幹線では最高速度など制約があり、断念した。
ここで新たな方法として、機関車が軌間可変客車を牽引し機関車だけ交換するやり方と、乗客を乗せたままで台車を交換するやり方がある。前者の機関車交換方式は最高速度、加速度、新たに新幹線での機関車運用の経験蓄積が必要など、制約が多い。
この物語では、台車交換方式を採用した。
在来線地元の生活直結を 新幹線の開通に犠牲にするを避ける為 軌間可変は捨て難きあり
反歌
自家用車地球温暖加速する目指せ未来へ繋ぐ鉄道
第二章 台車付け替へ方式
駅到着時に、乗客を乗せたまま左右から固定金具が出て来て車体を止める。次に線路が下降し、地下で新しい台車と入れ替へる。次に、線路を上昇させて車体に取り付ける。以上の作業を、人力ではなくすべて全自動で行ふ方法を開発した。
将来同時交換両数を増やすことを考慮しつつ、暫定的に一両を交換したら移動して後の車両を交換し、三両編成にした。運転区間は、郡山から会津若松、新青森から弘前、長野から松本とした。将来は、新潟から秋田、長岡から上越妙高糸魚川のどちらかも検討することにした。上越妙高か糸魚川が決まらないのは、JR東日本とJR西日本の意見が一致しないためだった。
東京へ行くなら上越妙高に富山福井は糸魚川へと
第三章 軌間可変電車
そののち在来線では、軌間可変電車が稼働を始めた。その経験蓄積から、新潟から秋田に走り始めた。上越新幹線及び秋田新幹線から乗り入れる車両は、客車が軌間可変、機関車は付け替へることにした。新幹線の機関車運用は、欧州へ人を派遣し学ぶことにした。
これが大成功で、かつての国鉄時代のやうに、まづ電化区間に新幹線からの乗り入れ列車が走るやうになった。次いで、非電化区間も機関車を付け替へるので、乗り入れるやうになった。これの成功で沿線自治体は柔軟になり、電化区間の非電化が進んだ。
また、2025年辺りに首相になった無能な女のために円安になり、石油価格が高騰した。自家用車を持たない家が多くなり、鉄道は大いに栄えた。めでたしめでたし、と最後は物語らしく終了した。
物語多くのものがめでたしに終はることこそ善き世の中に(終)
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