三千十八(朗詠のうた、普通のうた)短編物語「ポルポト解任(ホーチミンは死なず)」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月一日(月日)
第一章 ポルポト解任
愛子様が初の外遊でラオスへ行かれた。ラオ語は、タイ東北部の方言とほとんど変はらない。また、タイのチェンマイなど北部の方言は、バンコクと東北部の中間だと云はれる。文字はタイ語、ラオ語ともにインドで紀元前に用ゐられたブラフミー文字が起源だ。しかしタイは語源式、ラオスは表音式だ。日本語式に云ふと、タイは正仮名遣ひ、ラオスは新仮名遣ひだ。
ベトナム戦争で、ベトナム、ラオス、カンボジアは、共産側が勝利した。ラオスはパテトラオ(ラオス愛国戦線)議長が王族の「スファヌボン殿下(当時の日本の報道機関の表記)」で、ラオス人民民主共和国が成立の後は大統領になり、しかし世襲は辞退した。
ラオスは、共産側三国で一番成功した。ベトナムは、二番目に成功した。それに反し、カンボジアは失敗した。ベトナム戦争の最中に、ホーチミンは亡くなったが、士気が下がるのを恐れて公表しなかったとする。嘘はよくないので、実際は亡くなったことを兵士たちには伝へたが。
そしてベトナム戦争終了後に、三国は東南アジア共産機構を発足させたとする。今回は、その物語である。機構はまもなく、ソ連と中国を顧問として加盟させた。そして亡くなったホーチミンを議長とした。実際は、各国の合議で決めて、ホーチミンの名で発表したが。
まもなくカンボジアではポルポトの虐殺が明らかになり、これは毛沢東思想の影響だったが、毛沢東の中国を含めたすべての国が非難し、カンボジアはポルポトを解任した。
第二章 東欧の崩壊起きず
東欧の崩壊と、それに続くソ連の崩壊は、ポルポトが原因とも云へる。それほどポルポトの残虐行為はひどかった。ポルポトが解任されたため、残虐行為は一部に留まった。三国は戦後復興の為に、巨額の費用が必要だった。ソ連と中国が、互いにアジアへ影響力を持たうと競走したために、かなりの額が投資された。
一方で、ソ連と中国自身も、自己の経済を発展させないと相手に負けることに気付いた。ソ連は官僚主義を克服するために、下を押さへつけることを止めて、意見を出しやすくした。中国も文化大革命第二期の名目で、経済発展へ進み、下からも意見を出しやすくした。昔の百花斉放百家争鳴の失敗から、五十花斉放五十家争鳴と名付けた。
桃の花ももは多いかいそが良い磯の松原沼津の海辺
第三章 鼎立世界
かうして世界は、西側、共産主義、第三世界、の鼎立となった。これは座りがよい。一つの勢力では、勝手なことができないからだ。その為、地球破壊は進まず、二十一世紀が四分の一を過ぎても、地球温暖化は起きず、絶滅した野生生物は僅かだった。
西側が経済力を背景に地球支配を進めれば 帝国主義と変はることなし
反歌
資本主義リベラルともに金余り地球破壊と引き換へに由る(終)
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