三千二(うた)短編物語「三代続けて悪人(特に家康)」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月十九日(水)
第一章 三代続いた悪人
信長、秀吉、家康は、戦国時代を終はらせた功労者である。と同時に、三代続いた悪人でもあった。
傲慢と硝煙で書く三代目血は繋がらず土を流れる

信長は、キリスト教の日本布教を許可した。これは火縄銃や西洋の珍しい物に被れた結果であり、副作用として、島原の乱と、秀吉や家康の伴天連弾圧、がある。功績を検証するときは、副作用まで見る必要がある。
秀吉が悪人の理由は、朝鮮出兵で負けたことだ。尤も勝っていたら、更に酷いことになったかも知れない。朝鮮半島や大陸を支配しても、いづれ反乱が起きる。日本は、モンゴルや満州族みたいになった可能性すらある。
家康が悪人の理由は、幕府設置だった。副作用は、鎖国による西洋との技術格差と、幕末の混乱、特に長岡、会津、函館だ。そして、急速な開国の結果として日清戦争、日露戦争、日華事変から先の大戦だ。
上位者は権限人員金銭が豊富にありて功績が目立つが多く注意を要す

反歌  功績と副作用とを合計し評価を決めよ特に上位者
反歌  役職で決まる勲位や勲何等この際廃止皆が勲章
或る会社は前副社長の功績が大きかった。次の社長は、単に椅子に座るだけだった。チェアマンである。ところが、前副社長より、次期社長のほうが勲位や勲章の勲何等が高い。司馬遼太郎を低く評価するのはWikipediaに位階は従三位と書いてあったからだ。伊藤左千夫や島木赤彦を応援するのは、斎藤茂吉と同程度なのに若死にしたので、低く評価されるためだ。二人の歌が気に入った訳ではない。左千夫の壮大な歌だけは好きだが。

第二章 家康のすべきやり方
幕府とは、幕の中に設置した臨時事務所である。それなのに鎌倉も室町も宮廷と化し、しかも豪勢を極めた。家康は、こんなものを再興してはいけなかった。すべきは、家康が征夷大将軍の名を避けて近衛大将兼右大臣、秀頼を左大臣にすべきだった。
左右大臣の役割は同じだが、左大臣が上席だ。それができなかったのは、家康の武力は当初、連合政権だった。家康自身が、自分の代か次でまた争乱が起きると見てゐた。
家康に力があるなら、家康は征夷大将軍、秀頼は関白でもよかった。

第三章 朝廷復活
秀頼とその子孫は、いづれ権威を失ふ。家光の代に関白となり、朝廷の機能を回復し、武士を各省、各国府に配属させる。平時には武力より行勢力が必要だ。その能力に優れた人が、上職になる。これは本人の為ではなく、年貢を納める人たちの為だ。
朝廷と云ふ責任を伴はなず権威だけあるものを存続させたために、幕末の岩倉具視、昭和の近衛文麿と云ふ、駄目麿を生んだ。ここまで家康の副作用である。(終)

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