二千九百九十一(うた)短編物語「もし盧溝橋事件が起きなければ」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月十二日(水)
第一章 盧溝橋事件起きず
盧溝橋事件が無ければ、日華事変(当時名は北支事変、拡大後は日支事変)は起きず、その後の米英蘭を相手に戦争を起こすことも無かった。盧溝橋事件は、演習中の日本兵が一人行方不明になるところから始まり、現地で停戦協定が結ばれたにも関はらず拡大した。あの事件こそ、日本にとり悔やまれる。
事件が無ければ、石原莞爾は参謀本部作戦部長として、産業の育成に努め、将来日米が戦争になってもそれを支へる資源と工業力を持つはずだった。
第二章 日華衝突
日華事変が拡大した原因に、武藤章らの熱河作戦から華北分離工作がある。満州は、もともと孫文も、日本に任せよう、と考へたほどだった。しかも張作霖は、馬賊出身で処刑されるべきところを、日本が助命した。それが後には、北京進撃など日本の反対することを繰り返すため、日本は爆殺した。息子の張学良は、張作霖の重臣たちを殺害し、後継の地位を手に入れると、蒋介石に寝返った。
だから満州事変で止めなければいけないのに、武藤章らが軍事衝突を繰り返す為に、蒋介石は日華事変を拡大させた。武藤章も、面白いことになってきた、と不遜な発言をした。
拡大派不拡大派の根源は 西洋猿真似侵略派 そして西なるいさなとり洋からくるの列強を防ぎ衛るのアジア派があり
反歌
西洋の帝国主義が根本に在るを忘れる自虐派も出る
反歌
侵略派そして戦後に自虐派の共通項は偏向マスコミ
そんな経緯があったから、これから始める短編物語「もし盧溝橋事件が起きなければ」でも、日華の衝突は避けられなかった。
第三章 日華衝突後
日華は、厦門で衝突した。参謀次長の多田と、作戦部長石原は不拡大派だったが、参謀本部、陸軍省ともに、拡大派と均衡し、無責任な報道機関が煽り立てるために、拡大派が実権を握った。武藤章は、拡大派の急先鋒だった。
盧溝橋で日華が衝突するときと比べ、唯一の救ひは石原の作戦部長就任期間が長いことだった。これにより満洲の油田と鉱山が見つかり工業化も進み、米英蘭との戦争もある程度均衡を保てた。硫黄島の陥落は無く、本土への空襲は数回に留まった。ソ連は参戦せず、南樺太と千島列島は維持できた。そして無条件降伏は避けられたものの、米軍が日本に駐留する権威を押し付けられ、日本は骨抜きにされた。
1999年に英語第二公用語論が出て、これは当時の首相が急死し、中止された。その後2023年にNHKがキックバックと変な単語を繰り返し、国語破壊を試みたが、これも失敗した。LGBT法の強制は、アメリカに押し切られた。今後もこのやうな悪だくみが出ないとは限らない。骨抜きを解消し、独立を勝ち取ることは急務である。
樫の実の独り立ちせよ我が祖国御霊の声が響く靖国(終)
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