三千三(うた)短編物語「今川が桶狭間で勝ってゐたら」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月十九日(水)
第一章 織田信長負ける
織田信長が桶狭間で今川に勝ったのは、今川の戦ひ方を見て来たからだ。決して奇襲ではない。そして、ここしかないとばかり本隊を攻めた。今川が油断をしなければ、今川の勝ちだった。
この物語では、今川が当たり前のやうに勝ち、そのまま軍を進め、京都を占領。室町幕府を再興した。そして、管領になった。
上杉謙信は、幕府への忠誠心が高く、幕府に随った。浅井、朝倉にも、幕府に敵対する理由はなく、従順だった。
第二章 将軍亡くなる
ところが新将軍の足利義昭は、無能で職務が滞るのに、他人の口出しを許さない。これが原因で、管領の今川義元と不仲になった。そして、義元追討を浅井、朝倉、武田、上杉らに送ったが、事情は今川が逐一説明してあったので、今川を討つ大名はゐなかった。
そのうち義昭は大名に無視されて生活が荒れて、訴への裁定がいいかげんになり、土地争ひに不満を持つ者に斬り付けられ負傷した。更に三好三人衆の残党に襲撃され、両方の傷が元で亡くなった。足利一族から後継を出さうとは誰も思はなくなり、朝廷から親王を将軍に迎へ入れることにした。
ここで皆の頭をよぎったのが、鎌倉幕府で北条宗家の地位が強くなり、有力な御家人が次々に消されたことだった。管領のお目付け役に、武田、上杉、北条、朝倉の四大老が加はった。更に世代が交代すると、今川を含めた五大老が交代で、管領を務めることになった。
今川が、下からの要求に屈したのは、幕府の勢力範囲が近畿から関東信越までに留まったためだった。いざとなれば、域外と組んだり、域外を攻めて領土を広げることができる。五大老に就任する代はりに、さういふことはしないのが約束だった。
第三章 域外の統制
域外をどうするかは、頭の痛い問題だった。放置すると、大大名に統合されて、幕府を脅かす。そこで、負けさうな側に味方をして、まづ均衡を保たせた。土地争ひや、お家騒動にも、介入した。そのうち、幕府を味方に付けた側が有利だと皆が悟り、次第に幕府に随ふやうになった。
鎖国はせず、渡航や交易は自由にした。ただし外国と組んで、幕府や他藩に侵攻することと、軍船の建造、武器の輸入は厳禁にした。そして破る藩には、厳しく対処した。
各藩は、他藩はもとより外国に負けない商品を作らなくてはならない。農林漁商工業を含め、人員の移動が活発化し、日本は再び黄金の輝く国ジパングと呼ばれるやうになった。
このやうにうまく進んだ理由は、信長、秀吉、家康と、異常な人間を出さなかったことだ。家康は、信長と秀吉の失敗を見てきたので、異常ではないやうに、一旦は思へる。しかし鎖国、直訴は死罪、秀吉の刀狩の継続、宗門改め、などやったことは異常の連続だった。
信長は失敗許さず競争過多に 秀吉は自信我儘過剰の人に 家康は既得縮小再生産に(終)
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