二千九百七十八(うた)短編物語「鎖国」「寺請け制度」廃止
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月二日(日)
第一章 寺請け制度
信長の時代に、キリスト教が日本へ入った。大名にも、キリスト教徒が出始めた。このこと自体は構はない。キリスト教に負けるやうな仏法なら、亡んだほうがいい。
ところがキリスト教側は、日本征服の目的があった。それを見抜いた家康は、キリスト教を禁止した。その手段として、鎖国と寺請け制度を導入した。
キリスト教が日本から無くなったときに、鎖国は再び入るからと暫く続けることはまだよい。寺請け制度は、すぐに廃止すべきだった。しかし、その後も廃止されることはなかった。
徳川が寺請け制度と鎖国とを続けたことは怠慢に 黒船が来て首絞められる
反歌
家光の時より堕ちる江戸幕府その反動は明治維新後
第二章 英明な将軍登場
或る時、英明な将軍が現れた。そして、鎖国と寺請け制度を、廃止した。寺請け制度の廃止に当たっては、計画が発表されるや、反対する宗派や大寺院が現れた。これらに対しては、既得権にしがみつく者どもとして、宗派の上層部と大寺院を厳しく罰した。これで国内の仏法界から、腐敗する連中はゐなくなった。
良寛和尚がこのとき得度したなら、宗派を離脱はしなかっただらう。渡航のために、不在にはなったかも知れない。鎖国は廃止になったから、きちんと届け出た。帰国後は、唐土の詩や歌をたくさん作った。
吉宗は初めはよくもすぐ堕ちて 鎖国寺請け廃止せず 御三卿にてお家滅ぼす
反歌
吉宗は英明に見え御三卿これで御三家離反の始め
第三章 効果
鎖国を廃止することで、国内の産業は発展した。寺請け制度を廃止することで、寺院の数はかなり減った。檀家名簿は、武士の仕事にした。無役の武士を出さない。これが幕府の方針で、各藩にも厳命した。無役の武士には、俸禄を支給しないことも国内に徹底した。
国内に無役の武士は訓練し農工商へ世の役に立つ
第四章 南都六宗の復興と、具足戒の復活
文化保護の為に、南都六宗を復興することにした。具足戒も復活した。六宗は、宗派間の交流を活発化させるとともに、他宗にも門戸を開放した。これにより、激減した寺の数は少しづつ増えた。寺は、地元の篤信者たちが維持してくれてゐたことは、有難いことだった。
鎖国を廃止したために、黒船が現れても誰も気にしなかった。日本も欧米に合はせ、武器や造船技術を向上させてゐたからだった。長州が関ヶ原の仇、と突然暴れ出し西洋の戦術を駆使したが、幕府も駆使したため、短期間で鎮圧された。
仏法は強いて拝むに非ずして喜び集ふ学派とお寺(終)
「良寛和尚と初期仏法を尋ねる」(百八十六)
「良寛和尚と初期仏法を尋ねる」(百八十八)
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