二千九百七十四(うた)短編物語「唐土十三宗」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月一日(土)
第一章 良寛和尚の遺品
良寛和尚が遷化(高僧の死)ののちに、貞心尼が遺品を見てゐると、書物に一枚の紙が挟まってゐた。「成実宗、三論宗、毘曇宗(倶舎宗)、地論宗、摂論宗、法相宗、律宗、華厳宗、涅槃宗、天台宗、密宗、禅宗、浄土宗」とだけ書いてある。良寛和尚の弟や妹たちも、木村家の人たちも、誰も気にしなかったらしい。
貞心尼はこれを書き写すと、永禅和尚に見せた。和尚は、驚きそして喜び、これは唐土(二文字で、もろこし)の宗派でせう、拙僧の知らない宗派もあります、と語り帰って行った。
秋津洲南都六宗唐土の宗派に倣ひ学徒の宗に


第二章 唐土十三宗
十三宗の中で日本にないものは、地論宗、摂論宗、涅槃宗の三つ。唐土の宗派は、南都六宗と同じで、特定の経や論を学ぶためのものだ。律宗が唐土にもあることが嬉しかった。
それに比べて、日本の宗派は教団になってしまった。そして戒律を無視するやうになった。せっかく鑑真和尚が、苦心の末に日本へ来たのに。永禅和尚の嘆きは大きかった。
天台宗真言宗とも秋津洲初の教団排他的 派閥にも似る背後に密教

反歌  密教は現世利益を目指す故教団までも貪瞋痴へと
反歌  貪瞋痴乗り越えるこそ仏法も現世利益に逆方向へ
ここで永禅和尚の解説で、従来仏法を挙げると、
成実宗は訶梨跋摩 『成実論』。訶梨跋摩は説一切有部、大乗を学び、多聞部のときに『成実論』を著した。
毘曇宗(倶舎宗)は、説一切有部の論書。
和尚の律宗も、四分律は法蔵部である。真言宗も律を重視し、律宗と真言宗は宗派の入れ替はりが何度か見られる。とは云へ、永禅和尚は真言宗とは無縁だし、あまり好きではないらしい。

第三章 良寛和尚を思ふ
良寛和尚は、不立文字の禅宗にありながら、法華経を題材にした漢詩がある。これは道元和尚の影響であらう。晩年は、門徒宗に理解を示す作品もある。これは滞在した木村家の好意に、感謝してのことだらう。
宗派の分立をあれほど嘆いた良寛和尚が、異なる宗派を理解するやうになったのは、唐土の宗派が学派だと気付いたためだ、と永禅和尚は思った。ところで永禅和尚は、どこへ渡航したのか。シャムとも思はれたが、唐土の宗派に詳しいので、唐土ではないか。
文献によると、シャムは唐土の先で、かなり遠いさうだ。しかも唐土の次の越南までは漢文を使ふが、その先は梵字ださうだ。それも日本の密教が使ふ文字とは形が異なるらしい。良寛和尚と永禅和尚は、公式には国内で行方不明、と云ふ事になってゐるが。(終)

「良寛和尚と初期仏法を尋ねる」(百八十四) 「良寛和尚と初期仏法を尋ねる」(百八十六)

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