二千九百六十六(うた)短編物語「承久の乱起らず」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十月二十八日(火)
第一章 荘園廃止
後鳥羽上皇は、我儘だった。だから公家の中には、朝廷と鎌倉幕府の二頭政権がよい、と考へる者が多かった。そのやうなときに、三代将軍実朝が暗殺された。鎌倉幕府は、後鳥羽上皇の皇子を将軍に望み、しかし後鳥羽上皇は拒否した。ここに有力公家たちの心は、後鳥羽上皇から離れて行った。
有力公家たちは、荘園廃止を計画した。自分たちの収入も減るが、それは朝廷からの給金で賄ふことにする。荘園を国の土地に変更すれば、荘園の陰の所有者たちが困る。名目上、院や貴族や大寺院に寄進したので、今は管理者である。それらには農地管理者として給金を払ふことにした。そして給金は、年月を掛けて少しづつ下げた。かうして、西国では荘園を廃止して行った。
いい国の数字合はせでよく知られ 鎌倉幕府天皇を残し東に将軍を 二権分立良き制度かも

反歌  天皇と将軍に分け統治する妥協の産物優れた制度

第二章 幕府への波及
幕府が力を持つ範囲は、東国と、四国九州の一部に留まった。しかしこれらを除く、西国の大部分で荘園を廃止し、しかも困る人が出ないとなると、やがて幕府にも波及する。第一段階は、幕府が朝廷と同じことをやる。長い間には朝廷に吸収された。その代はり幕府は、朝廷で有力公家の半分近くを占めるやうになった。
かうなるには、多くの工夫があった。

第三章 朝廷の工夫
朝廷は、後鳥羽上皇の皇子ではなく、摂関家藤原道家の三男を将軍として送り出した。このとき五人ほどの有力者を幕府の要職に就かせることを条件にした。幕府は難色を示したが、朝廷も幕府から要職に五人就かせることを認め、決着した。
これで朝廷と幕府は、後鳥羽上皇と執権北条一族の独裁を抑へることができた。

第四章 三権分立
武士どほしの武力衝突は、土地争ひがほとんどだ。そこで、朝廷と幕府が共同で評定所を作った。これで、朝廷、幕府、評定所と、三権分立になった。これで荘園は廃止に向けて変はり続けた。
もしこのとき荘園を廃止できないと、どうなっただらうか。AIで未来を予想すると、室町時代に戦費調達のため守護が年貢の半分を調達する制度が出来て、後に常時へと進んだ。これで荘園は収入が半減した。そして荘園が無くなるのは、守護大名の台頭から戦国時代、更には太閤検地である。
ところが明治維新後に、また同じ状態になった。
荘園は長き歴史の大汚点明治維新後 また出たか似た弊害が国を滅ぼす

反歌  五一五二二六の根底に農村困窮国を滅ぼす
反歌  明治期の混乱に出た大財閥都市も困窮国を滅ぼす(終)

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