二千九百六十五(うた)道灌山隧道跡須藤公園外伝
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十月二十九日(水)
本日は、久しぶりに東海道新幹線で熱海へ行くか、と思った。熱海は少し滞在するだけで、在来線に乗り小田原へ戻る。そして総構(がま)へを見る。秀吉の小田原攻めに備へて、北条氏が築いた。
小田原の総構へとは知られざる観光名所初耳初見
しかし、話せる券売機の係員対応時刻には、朝八時からだ。時間が無駄なので、道灌山隧道へ行った。これなら定期券範囲だ。JR東は、乗車券と特急券の販売機会をわざわざ喪失させた。
そもそも中旅行に新幹線を使ふのは、在来線では大都市近郊区間が異常に広がり、途中下車ができないからだ。これもJR東日本は、わざわざJR東海に売り上げを渡す。小生は、途中下車ができない中遠距離切符は、特別な割引切符を除き買はないことにしてゐる。
その一方で、途中下車をすると特急料金が割高になる為に、熱海小田原間を在来線にして、特定特急券を使ひ、新横浜東京間も在来線を使ひ途中下車するなど、工夫が必要だ。
田端から道灌山下バス停へ少し行く先の信金でお金を降ろした。郵貯へ移すためである。動坂下の交差点手前のイオンで、昼食とワンカップ大吟醸を買った。お酒は美味しいものを味はうことにした。
団子坂その北側も千駄木に元は駒込坂下町が
今回はお酒が回った為に、須藤公園で折り返した。とは云へ、田端まで歩いたのでほろ酔ひよりは少ない。要は歳を取り、少しの疲労でも動くのが大変になるのと同じだ。
昭和四十年代の都電愛好仲間の間で、西日暮里駅から見えたセメント工場が話題になった。アサノコンクリート株式会社創立時からの田端工場で、1952年7月操業開始、1978年3月閉鎖。右の円柱建物は「アサノセメント」、左の四角建物は「アサノコンクリート」、その左に4mくらいの幅に二本のレール。
今は区立の駐輪場、JR東の現業機関のビルが二つ。ここも田端操駅の構内だったかと思ったが違った。小学生のときに百回近く自転車で来たが、完全に忘れてゐた。今回は山手線京浜東北線の線路反対側の坂を上がったので、気付かなかった。
新しき駅出来る前セメントの工場があり 完全に忘れてゐたが写真にてまた思ひ出す記憶の神秘
反歌 
千代田線開通により駅ができ間もなく消えたセメント工場
中旅行の途中で、あんみつ屋に寄った。前から看板を目にして、一度は食べたかった。しかしおかみさんと思はれる人の対応から、そろそろ店じまひなのかな、と思った。廃業が近いと、対応がぞんざいになる。(終)
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