二千九百五十五(うた)最新の歌論(同じ語と同音助詞の繰り返しを避ける、読み心地のよい文章、句読点)
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十月二十日(月)
(朗詠のうた)只見線各駅物語の「美里町向ひ羽黒の古き跡 お城好きにはたまらずも 知らざる人に山道高し」は、作ったときが美里町向羽黒の古き城 お城好きにはたまらずも そのほかの人敷居は高しだった。「城」が重なるので変更した。「向羽黒」は、読みやすく「向ひ羽黒」にした。
「山じおは継之助とも背を並べ会津の町を興す源」は、元が山塩は継之助とも肩並べ会津塩沢興す源だった。山塩は「さんえん」「やましお」と読む。それを避けた。「肩並べ」は、助詞が無い。字数を合はせるために、多くの人が用ゐる方法である。しかし最近、助詞抜きに厳しくなり、ほとんどやらなくなった。
「xxはxは」のやうに、同じ助詞の使用は避ける。これは歌に限らず、昔から普通文でも実行してきた。「の」の繰り返しはかつては認めたが、最近は認めなくなった。「の」について同音の「の野」「野の」は、五十年前から駄目だった。
同じ語と同音助詞の繰り返し避けて口調のよき歌を 同音による繰り返し万葉からの手法にて今も使ふは先人の智慧
反歌 
掛詞これは古今の堕落にて真似する勿れ今の人々
今から五十四年前にNHK大河ドラマ「新平家物語」が放送された。平清盛が出陣の時に「揮へや人々と」掛け声を発した。反歌の「今の人々」は、新平家物語の台詞取りかな。
十月二十一日(火)
普通の文章を書くときに、読点は苦心する。まづ、意味を重視する。例へば「自民党のカルト裏金は嫌ひ、と思ふ人たち」を多くの人は「カルト裏金は嫌ひと、思ふ人たち」と書くだらう。前者は小生の工夫で、意味を重視した。しかし「嫌ひ、と」に改良の余地がある。最近は「嫌ひだ、と」に改善した。
読点を多めに入れて読みやすく自然に見える工夫とともに
歌を入れることも、読みやすくする工夫だ。文章がずっと続くと飽きるし、読みにくい。歌を入れるには、もう一つ理由がある。一つの特集(記事)は3.5KB以上にする内規がある。文章だけでは足りず、歌を入れて超えることがしばしばある。
更に根本の理由として、定型が好きなのだ。だから普通の文章でも、五が続いたり、七が続いたり、六や八があったりと、歌より緩やかだが、準定型になる。意識はしないが、心の中で読む。牧水や左千夫の歌詠み理論と同じである。(終)
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