二千八百六十九(うた)地元の話題(競馬開催日出口、蕨機まつり)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
七月二十九日(火)
帰宅のときは、太陽が真上で日影がない。だから帰宅時のみバス代を支給してもらふ。本来は、往復とも支給してもらってもよいのだが、健康のために片道は歩く。
駅を出てからバスが発車するまで、10分ほど時間がある。今までは、駅横のスーパーで昼食のおかずを買ったが、揚げ物が多くなる。健康に悪いため、最近は家の近くの安売りスーパーで買ふやうになった。
バス停で待つのは時間が無駄なので、本日は駅の反対側に降りて、武蔵野線のガード下一区画を一周し戻った。浦和競馬場用出口の跡があった。かつて競馬開催日は、武蔵野線の二つの上り階段の間に今はお手洗ひなったが、かつては下り階段があり、駅員を配置し改札を行った。ここを降りるとガード下に出た。おそらく自動改札になった時に廃止されたので、四十年経つか。
浦和競馬の入場者数を調べると、昭和58(1983)年に71日で1日平均9522人。平成17(2005)年は49日で平均5246人。それから毎年8%程度づつ減少し、2019年は55日で3522人。コロナが明けた2023年は59日で2362人。
若者の競馬離れと酒離れ 国は安泰めでたくも 若者の数減少続く
反歌
酒離れめでたきことも例外はビールと洋酒めでたくは無し
ビールと洋酒が減って、日本酒はそのままならよいのだが。小生も最近、焼酎に戻ったから、他人のことを云へない。
八月二日(土)
仕帰りに、わらび機まつりへ寄った。駅前の櫓は、表示を兼ねた門だった。もの左の駅前広場駐車場部分に、舞台と観客席を設けた。尤も炎天下で暑いので、門の下で観る人が多いことだらう。
三日とも、午後一時開始だ。駅前にはそれより早く着いた。バスの案内所で回数券を購入し、コンビニで何か買って飲み、時間を待つはずだった。左のローソンを後目に先へ進んだ。ここで想定外のことが二つ起きた。
旧中山道まで歩いたが、別のコンビニが無い。もう一つは、暑すぎる。本日の予報は37度だ。分かってゐて想定外はひどい。
帰路の蕨駅手前で午後一時になった。さっそくウーロンハイを飲まうとしたら、氷が無いと云ふ。「いいですよ」と店を後にすると、別の店員に「西友で氷を買ってきて」と云ふのが、聞こえた。
予定では、(第一案)コンビニで日本酒パックを買ふ(第二案)出店で酎ハイかビールを買ふ、のあと出店で何か食べる予定だったが、駅前に着いてしまった。
蕨駅で車窓から気になるものに、夏の櫓のほかに、松乃屋がある。バス案内所へ行ったときに、横目でとんかつ屋だとわかったので、ここで食べてみようと思った。しかしわらび機まつりで混むだらう。そこで、電車に乗り、南浦和へもどった。
ここで二つの案がある。(第一案)駅前で何か食べる(第二案)スーパーでおかずを買って家で食べる。そして後者を選択した。と云ふことで、普段の日と変はらなかった。違ったのは、蕨駅前から旧中山道蕨宿まで、炎天下を往復したので、帰宅が30分遅くなっただけだ。
とは云へ、わらび機まつりの全容がわかった。あとは夕方の手踊りだが、写真で概要は分かる。不満を云へば、飲食物ばかりだ。しかも酎ハイ類が高い。生ビールのほうが高いのは仕方が無い。酎ハイなんて原価が安いのだから、もっと安くてよい。
トルコ料理が四店ほど出店してゐた。小生はドイツ出張中に、何回かケバフを食べたので、食べようかと思ったが、座って食べられないので止めた。川口市では、トルコ国籍のクルド人問題が起きてゐるが、川口市でも最も近い駅が蕨駅の地域もある。
蕨市の機祭りには初参り 猛暑の日にて往復をすると云へども初体験に
反歌
機織りの縁(えにし)に因む機まつりほぼ飲食の店ほかと変はらず(終)
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