二千八百二十八(うた)平川彰「インド仏教史 上」その二
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
六月二十九日(日)
「第一章 原始仏教」は、仏陀が成道で何を悟ったかについて
四諦説によって悟ったという説と、十二因縁(中略)という説と、四禅三明(中略)が優勢である。しかし(以下略)

と、それぞれ難点があるとする。そして
別の説では、仏陀は「法を悟った」といわれる。(中略)「尊敬するものがなく、恭敬するものがないのは苦である。しかしこの世において自分よりも完全に戒・定・慧・解脱・解脱知見を備えている人を見ないから、自分はむしろ自分の悟った法を尊敬し、恭敬して住しよう」

或いはこれが正しいし、これ以外から選んでよいなら小生は三学説を推す。このあと律蔵の話があるが、律蔵は守るところに意義かある。後世に、お経は意味が分からなくても唱へるところに功徳がある、と考へたのと同じで、律蔵は守り、そして布薩の日に確認し合ふところに意義がある。だから日本でも、戒を完成させるために鑑真和尚を招聘し大変な努力をした。
スリランカタイミャンマーで戒律を守るためにと 他の国の律師招聘昔の努力

反歌  先人の努め引き継ぎ次の世へ伝へることが我らの務め
スリランカでも律師の数が足りなくなり、ミャンマーから逆招聘したことがあった。
アショーカ王の時代にマヒンダ(括弧内略)によってセイロンに伝えられた仏教は、パーリ語によって伝持され(中略)上座部(括弧内略)系の分別説部(Vibhajjava-din)の伝持したものである。

玄奘の著書では、名称自身が上座部だったが、ここでは分別説部である。
上座部と分別説部おそらくは後者正しくどちらも部派に

パーリ語は中インドの西南のヴェーディサ(Vedisa,Bhilsa)地方の古代方言で(中略)マヒンダの母の生地である。

西インド方言がなぜ東南のスリランカへと疑問解消


「第二章 部派仏教」に入り
上座部は七回の分裂により十一部に分かれた。大衆部は本末九部であるから、(中略)合して二十部となる。(中略)大衆部の場合は四回の分派をしながらも、根本の大衆部がそのまま残っていたが、上座部の場合はその点がはっきりしない。最初に分裂した有部と雪山部(本上座部)との何れかが根本上座部であるべきであり、(中略)しかし雪山部は地域的には北に片寄りすぎており、(中略)勢力も小さかったようである。

上座部が続くか否や不明でも部派の洗礼避けるは無理に

さて
玄奘は大乗上座部を、五ヶ所挙げているが、これはセイロンの仏教を指すようで(中略)上座部ではあるが、大乗的な思想をも受容していたのであろう。

次に、義浄は
大乗と小乗との区別は明らかでない(中略)両者共に同じく二五〇戒を守り、共に四諦を修している。その中で、菩薩を拝礼し、大乗経を読む者は大乗と名づけ、これをしないものが小乗であると言っている。そして大乗と言っても、中観と瑜伽の二派のみであると言い、「大小雑業」を強調している。


「第三章 初期の大乗仏教」に入り
マウリア王朝の勢力が衰えた世紀前一八〇年ごろから、西北インドには異民族が侵入するようになり、(中略)第一はギリシャ人である。

その前にも、アレキサンダー大王や、
アレキサンダーの死後、インドの西方の地域はシリヤの(中略)支配下にあった。

その後、幾度の変遷を経て
カニシカ王は西紀二世紀の前半に(中略)中央アジアからアフガニスタン、さらに西北インド、北インドにまたがる大帝国を出現せしめた。(中略)版図内にはインド人、ギリシャ人、サカ人、パルティア人、その他多くの異民族が雑居しており(以下略)

そのやうな中で
東西両文化をも融合して、北インドに(中略)新しい文化が成熟し(中略)大乗仏教は、クシャーナ王朝のもとで大きく発展したと見られている。

仏像が現れたのも、この頃である。とは云へ
カニシカ王が説一切有部の教団を支持していたことは、(中略)碑文によって明らかであるが、(中略)種々の伝説にも示されている。

第三章はインド史に近く、途中を飛ばし最後に
菩薩には、自己が仏陀になりうる素質(仏性)を備えているとの信念がなければならない。(中略)まず小乗と異なる点は、小乗すなわち部派仏教は、阿羅漢(arhat)になることを目標として、(中略)仏陀と同じ悟りをうるということは、小乗仏教では考えない。当然のごとく、そこには自己に仏陀たりうる素質が備わっているという認識もない。

平川のとんでもない暴言である。南方系上座部では
ナモー タッサーバカワトアラハトー サンマーサンブッダッサ

(阿羅漢であり、正覚者であり、福運に満ちた仏陀に、帰依します)
を三唱する。つまり阿羅漢とはバカワヒラカワの云ふ仏と同じ意味である。此の男の経歴を見ると「東京大学名誉教授、早稲田大学教授、日本学士院会員、国際仏教学大学初代理事長」。呆れたものだ。権威に胡坐を掻くと、かうなる。
止観にて坐るべきにて肩書きに坐ると堕ちる権威の胡坐
(終)
(6.30追記)今回の特集は最初に、仏陀が成道で何を悟ったかについて「自分はむしろ自分の悟った法を尊敬し、恭敬して住しよう」の平川説を半信半疑ながら紹介したが、何を悟ったかについて「自分の悟った法を尊敬し」だからまったく解決しない。
それでも本を最後まで好意的に紹介したが、最後にぼろを出した。思へば序章でも、前半と後半で云ふことが逆で統一が取れてゐなかった。
(7.1追記)平川さんが紹介した三つと後からの一つから選ぶと、小生は四諦だとしたが、四諦は滅と道が重なるので本質ではない。だから、平川さんの紹介しないものから選び直し、三学とした。

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