二千八百六(うた)長澤和俊「新考玄奘三蔵の旅」
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
六月十五日(日)
長澤和俊「新考玄奘三蔵の旅」を読んだ。アグニ国について
説一切有部(小乗二十部の一、根本上座部が経・律を主とするのに対し、論を主とし、六毘婆沙、六足、発智、倶舎の諸論による教義をとる)を学んでいる。彼らは経や律の教義はインドに従っているので、パーリー語原典について研究している。戒律を守ること厳粛だが、食には三種の浄肉(括弧内略)を許し、大乗頓経と異なり、次第に段階をへてさとりに至る漸悟の教えに止まっていると説明している。
現在の南伝上座部は経と律を重視する。南伝は大部分が漸悟だが、頓悟もあるかも知れない。小生は漸悟がよいと思ふ。前に、良寛和尚は覚ったと書いたことがあり、これは長年の修行による漸悟である。
バーミヤンは
大都城は(中略)長さは六、七里、(中略)信仰心はとくに隣国より盛んである。(中略)小乗説出世部を学んでいる。
ここでいう大都城とは(中略)シャリゴルゴラの丘である。ここは十三世紀、チンギス・ハンのの猛攻によって陥落し、住民もみな殺しにされたといわれ、いまはまったくの廃墟と化している(以下略)
次にインドへ入る。仏法界は
部派は対峙し、議論は沸騰している。進む道は異なるが帰するところは同じなのに、[小乗]十八の部・派が各々勝手に議論している。大乗・小乗の二派はあり方も修行法もまちまちである。
それぞれの集団は、各々規則を決めている。その大筋は仏の経典である。一部の経典を講義できる者は僧の雑役を免ぜられ、三部の者は従者をつけて仕事をさせ、五部の者は外出に象や輿に乗り、(以下略)
これでは部派が統合できない訳だし、大乗が現れる訳だ。とは云へ、大乗も一派ではなく、各派で似た状況であらう。大乗が異なるとは書いてない。
従来と大乗の違ひ経のみに律と修行は同じと見える
律蔵の文章は違っても、内容はほとんど同じだ。
スワート地方は
古くは烏仗那(ウッディヤーナ)国と呼ばれ、仏教の盛んな地として有名であった。
西域記には
みな大乗を学び、禅定を事としている。よく経文を唱えるが、未だに深くは意義を究めていない。持戒・修行は清潔で、とくに禁呪に慣れている。律儀の伝来する教訓に五部ある。一は法密部、二は化地部、三は飲光部、四は説一切有部、五は大衆部である。
これは、教学は大乗だが、律は五部と云ふことだらう。解説でも
烏仗那の仏教は、五世紀初め(括弧内略)にこの地方を訪れた法顕によると、「仏法ははなはだ盛んである。(中略)みな小乗学である」と伝え、(中略)七世紀初め(括弧内略)前掲のごとくみな大乗を信仰しているとあるが、律儀には小乗の規律が残存していた。
と同意見である。
経論を大乗律を従来は仏法すべて一つにできる(終)
兼「初期仏法を尋ねる」(百四十九)
「初期仏法を尋ねる」(百五十一)
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