二千八百二(うた)桑山正進袴谷憲昭「玄奘」
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
六月十一日(水)
この書は、桑山正進「玄奘三蔵の形而下」と、袴谷憲昭「佛教史の中の玄奘」を併せた書籍だ。後者について
玄奘より四歳、あるいは六歳年長の道宣(五九六-六六七)の著述に、有名な『続高僧伝』がある。(中略)貞観十九年(六四五)にいちおうの稿を終えている。現行の『続高僧伝』は、その後、彼の歿年に至るまで、前後二十三年にわたって加筆増補された部分を含むものである。

玄奘の伝記は加筆増補部分に在り、全三十巻中の一巻を占める異例の長さだと云ふ。しかし
加筆増補の最も顕著な特徴は、(中略)玄奘などとはまったく異質の高僧たちが、(中略)集中的に登場してくるという点にあるのである。(中略)篇名でいうと、「習禅篇」「感通篇」「明律篇」などであるが(中略)「訳経篇」や「義解篇」で扱われるような佛教の典籍や教義に通暁した高僧とは異なり、禅や戒の神力霊異を基盤とするきわめて実践的な高僧たちであった(以下略)

これについて
初期の中国禅宗の形成という観点から分析した柳田聖山は、次のように指摘している。
(前略)新しい佛教の事実が、次々に社会の表面に現われ出て、単なる増補訂正の及ばぬ時点にまで発展しつつあった(以下略)
このような動向のうちに、柳田聖山は、禅を主とする新たな実践佛教形成の息吹をみるわけであるが、これを玄奘の側から記述するならば、(中略)翻訳事業は、(中略)佛教の新たな動向とまったく平行していた(以下略)

玄奘は、彼以前に訳された経典の講義を許さなかった。しかし法沖が
「あなたは、旧来の経典によって出家したのではございませんか。もし、あなたが旧来の経典を弘めることを認めないならば、あなたは一度俗人に戻って、それからもう一度新訳の経典に従って出家しなおす必要があるでしょう。(以下略)」
(前略)権勢にあった玄奘でさえ、法沖に及ばないこと、このような有様だったのである。(中略)法沖は、初期の禅宗形成期に重要な役割を演じた(以下略)

禅宗が現れる前唐の国仏法各派止観の位置は


六月十二日(木)
次に桑山正進「玄奘三蔵の形而下」では、「続高僧伝」により
西域を通り、インドに赴こうとする玄奘にとっては、インド語ばかりではなく、中央アジア諸語を(以下略)

「佛道論衡」では
梵書語、すなわちインド語を

桑山さんは、「続高僧伝」が、より事実に近いとした。
昭和の代五十五年の印刷は紙が変色 内容は詳細事項に偏るも 紙を理由にこれで読了

反歌  二学者の自説主張の本につきこれで読了得るものもあり
昨日の玄奘法沖の話と、本日の中央アジア諸語の話は貴重だった。(終)

追記六月十三日(金)
重要な記述を二つ見逃した。一つ目は「当時の中央アジア佛教」である。クチャでは
雑心・倶舎・毘婆沙などいっさいそろっているから、インドまで赴く必要なしといわれていた。玄奘は瑜伽論の存否を問うたところ、グプタはこれを邪書とみなし、(中略)対問するのであったが、グプタの学が浅く(以下略)

(中略)またカーシュガル佛教も、寺・僧の数が膨大であるのに反し、理論研究がなく、経論を読誦する程度にとどまっていた(以下略)
仏法と科学が、未分化であり、しかも経が仏陀直説と信じられた時代だから、玄奘が経の知識のみで優劣を決めたことは批判できない。同じやうに、中央アジアの理論不足を批判することもできない。
ガンダーラからジャラーラーバードにかけて本生処が多いのは、ガンダーラ=タキシラがエフタルにより荒廃する以前は佛教の中心地であり、大乗佛教の策源地であって、しかも歴史上の釈迦活動の地ではなく、本家を当地に移して考え出されたものであろう。(中略)しかし(中略)ヒンドゥー=クシュ南北におけるグロテスクな遺物崇拝の盛行は、この地方以外にはみられない独自の性格を示すものである。

二つ目は「カシュミール以遠の就学」に、ナーランダーでは
経部二十部を解する者は一〇〇〇余人、三十部の者五〇〇余人、五十部の者は玄奘を入れて一〇人であり(以下略)

たくさん知る者が信仰に優れるとは限らない。仏法と科学が未分化の時代の遺物だった。
パンジャーブ東北部はカシュミールと地理的風土は異なるけれども、玄奘当時の佛教教学は小乗に関してはカシュミールからパンジャーブにかけてが中心であり、また一方、大乗ではナーランダーが中心になっていたことがしられる。

最後に
カーシュガルに関して(中略)古来小乗教であり、玄奘当時は説一切有部に属し、理論研究はなく、経律論やその広解(毘婆沙)を丸暗記するのにとどまっていた

経律論やその広解を暗記するのは、伝承のための尊き行ひではあったが、玄奘の時代は形骸化し習慣化したのだらう。そこが大乗の広まる理由か。この時代は、決して大乗の修行が異なった訳ではない。

「初期仏法を尋ねる」(百四十七) 兼「初期仏法を尋ねる」(百四十九)

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