二千七百六十六(うた)行動日記(車椅子、雛の声、二ヶ月前の一葉記念館)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
五月二十一日(水)
半月ほど前から、母のデイサービスへの往復は車椅子を使ふやうになった。そしてデイサービス滞在中も車椅子なのだらう。そのため、車椅子は緊急で使ふことがあるので用意してほしい、と云はれた。
ほとんどの歩行器は椅子がある。それに対し今使ふ歩行器は、椅子に加へて、介助者が押すハンドルと、座席に足を乗せる台があり、車椅子として使へる。内科兼神経内科へ毎月通院のときと、臨時で整形外科と眼科へ行くときに重宝した。
今ある歩行器を車椅子として使へるか、デイサービスの人に見てもらったが、無理だと云ふ。送迎軽自動車はベルトを車椅子に装着して斜面を上げ下げする。これができないらしい。
本日は、ケアマネージャの定期訪問日なので相談し、明日介護器具業者が、今までの車椅子機能付き歩行器と交代に、車椅子を持ってくることになった。調べると2023年12月下旬に来たので、1年5ヶ月使用した。1ヶ月4000円(自己負担400円)なので、業者も十分元を取って、皆が笑顔になった。
車椅子は解除型と云ふので、何のことかと思ったら介助型だった。アルプスの少女ハイジでクララが乗る車輪の大きな型と、介助型があるさうだ。そこでアルプスの少女は車椅子なのか、と完全に忘れてゐた。更に驚くことは、ハイジが車椅子だと思って調べると、ハイジとクララは別人だった。
アルプスの少女ハイジの放送は五十年前歌のみ残る
アルプスの少女ハイジの記憶は、主題歌だけだった。
五月二十二日(木)
数日前から、鳥の雛の餌をねだる声が聞こへ始めた。今年も、巣の場所が少し違ふが、ムクドリが雛を育て始めたやうだ。去年は来なかった。
ムクドリが去年は来ずに心配も今年は雛の鳴き声戻る
本日は、車椅子が来た。夕飯の時に、今までの兼用歩行器より低いことがわかった。食卓と顔の位置が近くなった。とは云へ、食事ができない高さではない。
思へば、歩行器は通信販売で購入したものがある。内科へ通院の時は、それで歩いた。ところが休憩の回数が多くなって、予約時間が読めなくなった。
そこでケアマネージャと相談し、車椅子機能付き歩行器を介護保険で借りた。通院途中で休憩のときは、後ろから押すので、予約時刻に間に合ふ。これは便利だったが、半年ほど前から歩くことが無くなったから、車椅子でもよくなった。要は、資源の有効利用で、使へるうちは古い物を使ふべきだ。
五月二十三日(金)
本日は、母が新しい車椅子で初出勤(?)した。妻が送り出したので、状況は不明だ。迎へ入れは小生も加はるので、分かるだらう。
夕方に母を迎へ入れたあと、失敗をした。家の中は手摺りがあるので、介助しつつ自力で歩かせるのが、小生のやり方だ。車椅子(今までは車椅子兼用歩行器)に座らせたまま玄関と居間の間を押すのが、妻のやり方だ。
母を自力で居間まで歩かせた後、妻が玄関へ入れた車椅子の横を、小生が通る際に足を引っ掛けて転倒した。幸ひ怪我は無かった。これは、中途半端が一番悪い、の典型例である。小生のやり方でも、妻のやり方でも、うまく行く。混ぜると、かう云ふことになる。
------------------ここから(歴史の流れの復活を、その五百三十七)---------------
日本が西洋の猿真似をすると、中途半端になる。日露戦争から、先の戦争の敗戦、そして経済では世界一になったのにプラザ合意で陥落し、安倍の税金を湯水の如く流すやり方で円安物価高になった。すべては中途半端が原因である。
五月二十四日(土)
一葉記念館へ行ったのは二ヶ月も前になった。あのときは企画展「樋口一葉の小説の作り方」を開催中だった。そまときのちらしが偶々出て来たので、この企画展に二つ苦情を述べたい。
まづ展名がよくない。企画展を観れば、一葉と同じ方法を学べると思ふ人が多いだらう。誇大広告である。最近、動画でも似た類があるので気になった。
二つ目は、ちらしの中に
一葉が(中略)小説を書きはじめたのは19歳のころでした。しかし、高等教育も受けていない年若い女性が小説を書き、世に発表するのは生易しいことではありませんでした。
問題点を赤色にした。一葉は、まづ和歌の通信教育を受け、次に萩の舎へ入門した。後には師匠に代はり教へたこともあった。文学について、高度な教育を受けたではないか。
ここで云ふ高等教育とは、西洋式学校のことらしい。しかし西洋式学校を出て、小説が書けるか。鴎外や龍之介が書けるのは、西洋式学校とは無関係だ。更に、鴎外は医学部、龍之介は英文学科で、ますます無関係だ。
昭和年間辺りまで、世間では学歴をほとんど気にせず、工場労働者と事務職に差は無かったし、個人商店主は人気のある職業だった。何しろ、給料所得者は自家用車を持てなかったが、個人事業主は最低でも仕事用の4ナンバーを持ち、別に5ナンバーの家庭用を持つ人も多かった。
一葉の生きた明治時代は、更に気にしなかった。子規も左千夫も高等教育を受けてゐないし、一方で門人の茂吉や赤彦は受けたから逆転するが、誰も気にしなかった。
平成以降の西洋式学校を気にする風潮は、日本の文化と社会が、西洋に抑へられてしまふ。一葉の文学は歴史の流れに沿ふので(歴史の流れの復活を)に入れたいと思ってゐたが、二ヶ月後にたまたま入ることになった。
立夏より二十日が過ぎて あと八日太陽暦で夏となる 夏子の季節到来となる
反歌
一葉は物語への作者にて歌は夏子か夏が筆名 本名は奈津
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(歴史の流れの復活を、その五百三十八)へ
------------------ここまで(歴史の流れの復活を、その五百三十七)---------------
ムクドリの巣は、一昨年と同じ場所のやうだ。まだ雛の声が小さいので、離れた場所だと勘違ひした。(終)
(追記5月25日)今朝は4時33分に雛の鳴き声、1分して親鳥の鳴く声が聞こえた。空はかすかに明るくなったばかりだ。
(追記5月26日)夕方は、少し暗くなるとまだ明るいのに、鳴き声が止む。朝はかすかに明るくなると鳴き始め、夕方はまだ明るくても巣に戻る。安全と、一日の疲労を考慮した、生活の知恵である。
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