千三十二 西部邁ゼミナール・澤村修治さんの和魂洋才不要論を批判
平成二十九丁酉年
十月七日(土)
本日の西部邁ゼミナールはまづ次の話(要旨)があった。
福沢諭吉 西洋は近代文明で混乱してゐるから、日本は猿真似してはいけない。民情一心。
中江兆民 国民が国王を求めるなら、それがよい。民約訳解。
ここまで同感だ。しかしこのあと澤村修治さんが、和魂洋才は出来ないと数か月前に続いて再度発言したので、これを取り上げたい。澤村さんは
西洋にあっても新しいものと古いものが混在し混乱するのだから、日本に西洋のものが入れば混乱し、だから和魂洋才はできない。
このやうな要旨を話された。まづ、新しいものが入ると便利になる。次に不具合が出て来る。そしていつか解決し平衡状態に達する。例へば西洋で生産力が激増した。製品の販売先を確保するため植民地獲得競争が起きて戦争が続発した。その後、国際機関が発達し、戦争への反対も出て落ち着いた。これが平衡状態だ。
一方で、国際機関の発展が国内政治を無力化し貧富の拡大や不安定な社会になった。地球温暖化問題もある。つまり一つの問題が解決する前に別の問題が出て来るから、この混乱は産業革命前の定常状態に戻すか、人類が滅びるまで終はらない。以上の前提で、しかし短期問題として現状認識と対策を考へよう。これが正しい姿勢なのに、澤村さんは再度、和魂洋才は出来ないと発言した。
十月七日(土)その二
和魂洋才には、二つの効能がある。一つは守旧派の人に対して、技術は西洋のものを入れないと駄目ですよと説得する場合に使ふ。つまり魂は今までのものを守れることを説明する。二つは進取派や西洋被れの人に対して、技術は西洋のものを入れてもよいが、魂を変へると世の中が混乱する。だから魂は従来のものを守りませうと説得する場合に使へる。
実際には、魂と才は分離不可能だ。才を変へれば魂が影響を受ける。澤村さんはここまでは考へたと思ふ。しかし才も魂の影響を受ける。例へば西洋では議会が経営者党と労働者党に分かれる。実際には経営者の人数が少ないから前者は伝統派や宗教勢力を組み込んだりするが。アメリカが経営者党と労働者党に分かれないのは、移民国なので定常状態に達してゐないからだ。一方日本では経営者党と労働者党に分かれない。これが魂の相違だ。
そもそも労働組合のユニオンショップは西洋ではあり得ない。抗議をする人が続出ですぐにユニオンショップ協定は廃止せざるを得ない。その一方でクローズトショップは西洋にはあっても日本ではなかなか作れない。
西洋と日本ではこれだけ相違がある。労働組合の制度が同じでも、結果はこれだけ違ふ。魂の為せる業だ。
十月八日(日)
発言の作用には有益と有害の両方がある。澤村さんの和魂洋才不可能発言は、和魂洋才が完全に可能だと信じる人に警告を与えることができる。しかし完全に可能だと考へる人はゐないだらう。つまりこの主張には有益さがまったく無い。
次にこの発言の結果として、洋魂洋才で完全に西洋文明を取り入れるか、和魂和才で完全に拒否するしかなくなる。これだけでも国内を二分するから有害なのに、更に有害なことは今の世で完全に拒否することは不可能だから、後者は少数に留まる。つまり西洋かぶれが国を破壊することを促進する。有益さが無いのに有害度がこれほど高い発言も珍しい。
澤村さんは、再び日本人に生まれたいと思ふが、と言ひ訳をした上でこの発言をした。再び日本人に生まれたいとまづ云ふことで、視聴者に澤村さんは日本文化尊重派だと思ひ込ませたいのだらうが、和魂洋才が不可能ならすべてを西洋化するしかなくなる。つまり澤村さんは日本文化完全否定派だ。殺人犯が裁判で、次に生まれるときは殺人をしない人に生まれたいと云っても、裁判長はこれを反省の言葉と捉へないのと同じだ。(完)
メニューへ戻る
前へ
次へ