二千七百五十九(朗詠のうた)行動日記(歩きでも衰へ、まるやるま君、鉄道博物館近く)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
五月十四日(水)
前に自転車に乗って、足の衰へを感じた。そして見え方も悪く(夕方、動体視力)なったため、自転車は乗らないことにした。
最近は更に進んで、歩きでも足の衰へを感じるやうになった。同じ筋肉をずっと使ひ続けると、ジーンとすることがあるでせう。それがまづ自転車を漕ぎ続けると感じて、今度は歩いても感じるやうになった。
歩きても足の衰へ現れる 体動かし食べ物に気を付け続け十(と)年を過ごす
反歌
親の世が我々の世を越えた今子の世となるを足にて思ふ
五月十五日(木)
大変なことが起きた。まるやるま君が使へなくなった。
作者ホームページサービス(hp.vector)は終了いたしました。
長らくのご利用、ありがとうございます。
と表示される。調べると、まるやるま君だけではなくhp.vector.co.jp/authors/はすべて同じメッセージが出る。hp.vector.co.jp/でも同じだ。vector.co.jp/だとhttps://www.vector.co.jp/の「パソコンソフトを探すなら」へ飛ぶ。とは云へ、ここのソフトはアプリ系だ。窓の杜みたいにツール系ではない。
応用ソフト(翻訳者注、アプリのこと)を使ふのは素人だ、専門家はツールを使ふ、なんて云ってよいのは、四十年前だ。さう云へば、小生はホームページを作るのに、今でもメモ帳を使ふ。もしマイクロソフトがメモ帳を廃止したらどうするのか。そのときはedlinを使ふ。UNIXのviに比べれば、はるかに使ひ勝手がよい。ラインエディタとテキストエディタの違ひである。
edlinを試しに使はうとしたら、無い。editが無くなったあとedlinになったが、それも無くなったらしい。最悪の時はcopyコマンドでも編集ができる(過去にやったことがある)。さう云ふことが無いやうに、メモ帳があるのだらう。
五月十六日(金)
今朝、まるやるま君の移転先を見つけた。昨日から今朝に掛けては、「國」「惡」など自分で正字体に変換した。今、試したところ「輕」を見逃してゐた。
正字体正仮名遣ひ洗脳の文化分断防ぐの狙ひ
(5.17追記)まるやるま君は、移転ではなく、アーカイブだった。このままずっと使へるとよいのだが。
------------------------------ここから(路面電車、客車、その周辺、六十三)--------------
五月十七日(土)
昨日は、鉄道博物館近くへ行く用事があった。鉄道博物館そのものではない。前回に続き展示してゐる東武の車両が、歩道から見えた。

鉄道博物館(東武車両と奥に特急車両)左の歩道から 右の歩道から
片道は大宮駅と鉄博間を歩いた。途中に大宮工場の展示があり、それなりに楽しく観た。一番手前のスポーツセンターは、工場の敷地と建物をそのまま貸し出したか売却したのか。外形が他の工場建物と同じだ。
鉄博のある場所は、工場とは無縁だ。かつて大宮駅の南西に隣接し、大宮機関区と大宮客貨車区があった。東北新幹線の工事が始まり、機関区は今の鉄博の位置に、客貨車区は大宮操駅の中間辺りへ移動した。機関区は、実際には気動車のみを扱った。とは云へ駅の南西にある側線脇に機関区の構内数線が出来て、構内を公開したことがあった。
川越線が電化の後は、古い車両の解体場になったと記憶する。調べると浦和電車区大成派出だった。検索した当時の写真を見ると、京浜東北線以外にも山手線、横須賀線を解体した。50系、事業用客車、有蓋貨車が一両づつ写るが、これらは休憩室、倉庫、廃材運搬用か。
大宮工場ではなく浦和電車区大成派出だったのは、部品再利用のためか。そして当時の大宮工場は、機関車、客車、貨車、気動車を扱ひ、電車は扱はなかった為か。
機関区が駅の南西懐かしく 工場の北無関心 解体場も無関心 博物館は一度も行かず
反歌
機関区と客貨車区持つ駅のみが我が懐かしき記憶に残る
反歌
新幹線駅を壊すの元凶も客車と貨車はそののち消える(終)
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