二千七百四十七(うた)鉄道の話題(鳥塚さん、ホームの高さ、常備駅と配置区)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
五月六日(火)
Merkmalのホームページに
いすみ鉄道危機、脱線から半年! 売上3割減・負債2倍…走り続ける意味はあるのか? カリスマ前社長の功罪、赤字ローカル線の価値を問う
が載った。
千葉県の外房線、大原駅から上総中野駅を結ぶいすみ鉄道が長期にわたって運休している。運休の原因は、2024年10月に発生した脱線事故だ。この事故以降、運休が続いている。
(中略)現在、いすみ鉄道の経営状況はどうなっているのだろうか。千葉県が公表した「いすみ鉄道株式会社の経営状況等の評価に係る調査票(令和5年度決算)」を見て(中略)事故や災害による運休で鉄道収入や売店収入が大幅に落ち込んだのは、(中略)仕方のないことだ。しかし、(中略)支出は増加している。例えば、2023年度(令和5年度)の決算では、売上が約3割減少した一方で、「販売費および一般管理費」は災害復旧工事費が原因で、前年度比約1.5倍に膨れ上がった。
さて
いすみ鉄道が全国から注目されたきっかけは、2009(平成21)年に就任した鳥塚亮前社長の存在だった。
(中略)だが、ここで冷静に見ておきたいのは、鳥塚氏時代の成功も補助金と特別な熱量に支えられた一時的な反転攻勢にすぎなかったという点だ。
・鉄道ファンの支援
・限定的な観光需要
・全国メディアの注目
ここまで読み逆に、胸を撫で下ろした。よくワンマン上司が現れて無理に働かせたり経費節減をした。だから部門の成績は上がったが、その上司が転出ののち、健康を害する人や物品購入が激増して大変なことになった話を聞く。それとは無縁だ。鳥塚さんは鉄道愛好者だから、そんなことは無いとは思ってゐたが。
心配を記事は指摘をしたものの我が安心は逆の列車か
五月七日(水)
昭和50年頃は、東北地方の交流電化区間で普通電車は、常磐線の中距離だけで、当時は電気代が理由と見た。今と異なり、直流は抵抗器で電圧を下げるので、エネルギーを無駄に捨てていた。千代田線のサイリスタチョッパが出たのはその数年前だった。
この頃の電気代は家庭用で電灯が18円から22円、動力が12円。その後、消費税や燃料費や円安があって多少は上がったが、一般の物価みたいに5倍から10倍には上がってゐない。
そのためその後は、動力費を考慮せず、電車化が進んだとみてゐる。更にVVVFも開発され、今ではすべて電車になった。
これに対し都電廃止時愛好仲間から、交直両用電車は製作費が高いと云ふ意見があり、これは正しい。更に、貨物列車と旅客列車で、機関車共用もあった。
401系乃至403系は交直両用普通電車だが、扉に段差が無いので、いわきだったか原ノ町から先へは行かなかった。ここでホーム高さについて調べると、国有鉄道建設規程(昭和4年鉄道省令)に
第三十七條(中略)
4 乗降場ノ高サハ軌條面ヨリ七百六十粍トス但シ電車專用ノ場合ニ於テハ千百粍、電車及其ノ他ノ列車ニ共用スル場合ニ於テハ九百二十粍トス
それが昭和四十一年に、原則920粍、電車専用1100粍に改定された。すると、特急や急行用の交直両用車は、例外になる。しかし当時は、交直両用なのに段差のない401系乃至403系の普通電車を、例外と見た。
181系(特急とき)は、普通の電車と、段差のある電車の、中間の高さだった。このことは確か鳥塚さんも、車内販売のアルバイトをしたときに運搬車を連結部に通すときに感じた、と書いたものを読んだことがある。
鶯谷駅のホームは、電車専用と、電車及其ノ他ノ列車ニ共用、の中間だった。おそらく鶯谷駅は乗降客が少なくホームが摩耗しないので、昭和四年以前に建設したのだらう。
我が趣味は ホームの高さ 各客車交番検査の時期相違 配置区及び常備駅 関係者とは別の視点で
反歌
客貨車は電車と違ふ趣きが気動車丁度半ばを走る
客車の交番検査は、一両ごとに異なった。一回だけ同じ列車があり、常備駅を記録しておけばよかった。想像では、熊本の川尻ではないか。あと、客貨車は配置区ではなく常備駅の理由も調べて、検車区と車電区にたどり着いた。全国で例外は南稚内と南福井。昭和三十二年に、ミナからワカ、ミフからフイに変更された。同じ時期に、新鶴見(操)、宮原(操)、竜華(操)が、ツルソからツソ、ミハソからミハ、リユソからリウになった。昭和二十五年前後に、検車区と車電区を併せて、客貨車区としたので、客貨車区名にしたと云へるが、ツソ、後に武蔵野(操)のムソ、東京貨物ターミナルのタミが現れ、これらには事業用客車がゐたので、統一された訳ではなかった。(終)
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