二千七百四十八(うた)最新の歌論(書式変更、キーンドナルド「正岡子規」)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
五月七日(水)
五月二日の歌論に、「句で区切った書式を、今の書式に変更を始めた。その過程で、破調、促音、音便、過去形で修正を見逃したものを直してゐるが」と書いたが、これが意外と多い。しかも書式変更は、かなり手間が掛かる。始める前は、単純作業なので速いだらうと予想した。ところが、長歌をどこで区切るかと、見逃しと、単純作業が重なって、なかなか進まない。これで十八ファイルだ。
二日が八ファイル、三日は見沼市民の森、四日は横浜へ出掛け、五日は二日間の記事を書いた。六日が三ファイル、本日が七ファイルだ。実質四日だから一日に四ファイル半だ。
本歌取りで歌集を読む時に感じたが、本歌取りを目的とするから歌集を精読できる。単に読むだけだと、斜め読みになってしまふ。修正も同じで、前回は斜め読みになった。見逃した歌を直すので、余計に時間が掛かる。
そして、今と書式が違ふので、余計に見逃しやすい。八一の歌があまり評価されない理由も、書式にある。破調の歌なら、句で分けないと読み難い。しかし八一と小生は、破調が無い。
五月九日(金)
キーンドナルドが日本国籍を取得する頃(取得前ならドナルドキーン)に英語で著した「正岡子規」日本語訳の一部を読んだ。「第一章士族の子」から「第十二章辞世の句」までのうち「第六章「写生」の発見」「第七章俳句の革新」「第九章短歌の改革者子規」の中の一部だけである。三章の五分の一以下だから、書籍全体の二十分の一程度である。
まづ文芸は、芸術論を掲げて鑑賞してはいけない。二番目にキーンが書いたのは英語で、外国人向けだ。だから読み始めると、不快感が出る。これはキーンさんが悪いのではない。
一番目の芸術論は、子規が悪い。二番目の英語で外国人向けに書いたものを日本語で読むのは、出版社と翻訳者と読者が悪い。特に今回は読者(小生)が最悪、は冗談である。爆笑した上に「事実だ、冗談では無い」とか叫んでゐるのは旧安倍派か、も冗談である。
キーン著書日本語訳を頁読み高音キーン頭が唸る
かう云ふ場合は後日に読むと、頁数が激増する。再度挑戦したい。
五月十一日(日)
本日は、高音の耳鳴りと怒鳴るやうな頭痛を覚悟して、再読を始めた。名付けて、キーン怒鳴るぞ、である。「第六章「写生」の発見」では子規の書いた
俳句は文学の一部なり文学は美術の一部なり(中略)即ち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以て論評し得べし
小生は、この主張に絶対反対である。直感で美しさを感じるものは、該当するだらう。しかし二回目、三回目と鑑賞し、或いは鑑賞後に考へて美しさを感じる場合もある。全体の中で実効の美を感じる場合もある。キーンさんも、小生と同じらしく
子規がこうした断片的な表現を用いたのは、明らかに読者を驚かすためだった。
次に、子規の原文ではなく現代語訳のほうが短いので紹介すると
西行の和歌、宗紙の連歌、雪舟の絵、利休の茶、これらの根本を貫くものは一つである。その風雅は、天地自然に随って四季を友とする。
美しい自然を題材にすれば当てはまる。それ以外を題材にすると当てはまらない。左千夫の歌で、美しい自然を読んだものは美しいが、さうでは無い歌が美しくないのは、子規の写生論の限界かと思ふ。キーンさんは、子規の主張を引用するのみなので、十割賛成のやうだ。ここで、小生とキーンさんの違ひが出てくる。
画家の中村不折が子規の書いた記事の挿絵を担当することになった。
子規と不折は堅い友情で結ばれるようになったが(中略)一つの話題についてだけはまったく意見が合わなかった。子規は当時、日本画の大変な崇拝者だったので、西洋画に何か推奨(中略)を認めようとしなかった。
ここで云ふ日本画とは、古来のものか、それとも岡倉天心の唱へた日本画かが気になる。
日本画は(中略)誰もが美しいとわかっている景色だけを描く傾向があった。しかし西洋画は(中略)一見魅力のない景色であっても描く対象となるのだった。(中略)子規は「富士山は善い山だろう」と言うと、不折は「俗な山」だと答える。(中略)子規が思い当たったのは、俳句に富士山を入れると、俗な句になり易いということだった。
左千夫や茂吉に、美しくないものを詠んだ歌がある。それらは、事実美しくない。どう解釈すべきか。
美しさどこに出すのか 美しく無きを描くの歌にては 文に入れるは我が思ひ文を生かすがまづ初めにて
反歌
左千夫には大雨による苦労あり茂吉海外日記の新味
(5.13追記)画家にとり富士山は俗である。文学でも、物語では富士山は俗である。富士山のすばらしさを紹介する物語は例外として。
それに対し、歌や俳諧発句では、字数が限られるので、美しくないものは原則として題材にすべきではない。キーンさんは日本文学の専門家ではあっても、和歌の専門家ではないし、子規の専門家ではない。だから子規と不折の意見の相違を、大袈裟に捉へたのだらう。
五月十一日(日)その二
芭蕉の「古池や」の句に対し、子規は
意味は、この句の表面に現れているそのままであり、ほかに意味などない。しかし俗物の宗匠たちは、あたかもそこに深遠なる意味が(中略)普通の人にはわからないなどと言う。
キーンさんは
俳句の重要な秘密に自分だけが通暁していると主張する俳句の専門家たちに吐き気を催していたからだった。
とするが、小生は子規が自己の写生論に陶酔した発言ではないか、と見た。その理由は、蕪村の
牡丹散りて打かさなりぬ二三片
について、小生はまづ字余りを問題にする。子規は問題にせず、キーンさんも問題にしないが、それより
蕪村の句の客観性を好む方向に傾いていた。
そしてもう一つ
子規は、自分の定義に当てはまらない蕪村の詩の側面は無視した。たとえば(中略)音の美しさに何も注意を払っていない(以下略)
として
春の海終日(二文字で、ひねもす)のたりゝ哉(かな)
を挙げる。同感である。
キーンさん我が歌観とほぼ同じ母国語以外驚異の限り(終)
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