二千七百七(うた)1.お花見(皇居乾通り、隅田公園)、2.トロリーバスの思ひ出
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
四月四日(金)
仕事終了後、皇居乾通りへ行った。東京駅から坂下門迄、本当に外国人が多い。午後12時半頃なので並ばず入れた。勿論入ってからも外国人は多い。欧米系、東(南)アジア系、西アジア系など、大歓迎だ。心配なのは、極めて一部の外国人の行為が、悪く報道される。これはマスコミが偏向してゐるからだ。
仕事後に乾通りへお花見に行くと混まずに海外からも

  
門長屋                       道潅濠(その一)                   道潅濠(その二)

 
コマツオトメ                    右の小さな木は、桜とは別種のヒュウガミズキ

それにしても、道潅濠の字が欠けたり、ヒュウガミズキの左の品種が不明だったりと、写真は失敗続きだ。きっと暇な人が、乾通りのすべての品種を書いたものを載せてゐるだらうと調べたが、無い。日本一暇な役所と云はれる宮内庁(←もちろん冗談)が載せたのでは、と調べたがやはり無い。
ここで、宮内庁の乾通り公開の頁に、動画かあることに気付いた。見たが、速くて分からない。X0.5で丁度いい。しかし品種の表示は横だから分からなかった。
さて、宮内庁に苦言が二つある。通路には蓮池濠など説明版が立つ。ロープのすぐ後ろに立つ若い女性に、説明板は普段もあるのですか、と質問したところ、昨日からなのでわかりません、との事だった。この女性は正直で責任はない。しかし宮内庁はよくない。頭数を揃へればよい、と云ふ考へだからかういふことになる。この件は、皇宮警察の方に質問して、普段は無いとのことだった。皇宮警察のほうが、遥かに役立つ。
もう一つある。案内の腕章を付けた中年の男性が、ロープの遥か後方に立つ。あの男性は、質問が来ないやうに後に立つのではないか。案内の腕章が役立たない。
乾門から退出の後は、案内の表示に従って右折した。その先は、竹橋と、大手町東京駅へ矢印が分かれるが、予め調べてあるので竹橋へ向かった。大手町や東京駅まで歩くのは、かなり距離がある。竹橋から浅草まで地下鉄に乗った。そして隅田公園へ行った。

  
対岸の墨田区側                   台東区側の説明板                   東京都建設局の良くない説明板

良くない理由は、リバーサイド・パークと云ふ、語感の悪い言葉を使ってはいけない。そもそもこの表現では、片岸の意味だ。
両岸に公園があり意義がある変な英語は意味が不明に

 
千年松(左の写真に写るスカイツリーが、右の写真ではお化け煙突みたいに消えた)

台東区側は、出店無し。墨田区側は、各町内会と向嶋墨堤組合。どの店もアルコール類が500から700円なのは、競争原理が働かないためだ。これは上野公園も同じ。小生は、台東区側のコンビニで日本酒紙パック180ml(税込み106円)を買ったので、ぼったくりには会はなかった、と云ふのは冗談である。上野公園では焼酎500円を購入した。観光地価格で、高くはない。
一回目五百円にて満足も慣れるに連れて不満出てくる

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トロリーバスが走ってゐたときは、言問橋の西側が「隅田公園」、東側が「言問橋」だった(バスになってからも同じだが)。台東区側と墨田区側の両方で、桜橋の手前まで行って戻った。桜橋を渡れば一回で済んだが、初めは墨田区側は対岸から見るだけにしようと思った。
墨田区側を見たときは、言問橋を渡って池袋行きのバスに乗らうと思ったが、言問橋からどれだけ歩くか不明なので止めた。東武伊勢崎線の陸橋に沿って歩く橋があったので渡った。そして松屋デパートの一階を歩き、東武浅草駅前から池袋行きに乗った。次の停留所が馬道で、団体の旗を先頭に、欧米人の観光客がぞろぞろと歩いた。浅草観音へ行くのだと判ったが、隅田公園の次が馬道とは帰宅後に知った。そもそも今は馬道と云はず浅草六丁目だ。未だにトロリーバス時代の停留所名を使ふから間違へる。
トロリーバスと云へば、言問橋を渡る101系統のほかに、今回帰宅時に乗った池袋行きも、元はトロリーバスの104系統である。104の姉妹系統の103系統(池袋ー亀戸)も今はバスがあるだらうと帰宅後に調べると無い。昭和46年にバスも廃止され、今は亀戸-日暮里を走る。日暮里と云へば、日暮里-晴海ふ頭を思ひ出すが、調べると昭和51年に廃止になった。
小学生トロリーバスの思ひ出が今も残りてバスは走らず

103、104系統を調べると、昭和町に車庫があった。完全に忘れてゐた。トロリーバス廃止後は、都バス車庫にもなった。交通局の、電車部と自動車部は、別会社くらい異なる。その電車部の車庫が、荒川、昭和町とすぐ近くにあったとは感慨深い。尾久駅、田端操駅と、操車場が二つ並ぶのに酷似する。(終)

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