二千六百九十七(朗詠のうた)西日暮里、よみせ通り、根津権現、上野動物園と公園、アメ横
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
三月二十六日(水)
本日は仕事が無く、妻は仕事があるので、母の送り出しを小生が行った。そのあと西日暮里、よみせ通り、根津権現、上野動物園と公園、アメ横と廻った。
西日暮里の住居案内地図に根津の一部が載り、我が家跡もその範囲だ。西日暮里は地元なのかと嬉しく思った。尤も小中学生のときに、自転車でよみせ通りよりも東側に平行する小路を走り、道灌山通りを右折し、西日暮里のガードを潜ってすぐを左折し、尾久客車区を右に見て梶原踏切を渡り、右折して尾久駅の改札前を通過し、西日暮里へ戻るのは、定型自転車路だった。梶原いろは亭に親しみを感じるのは、さう云ふ理由があったことを思ひ出した。
荒川区西日暮里も地元にて 不忍春日両通り新た加へる漕ぐくるま道

反歌  諏方の台武蔵野台の間には広き谷あり人の手による
さう云へば、鶴見に住んでゐたとき休日に、塩浜操駅(現、川崎貨物駅。小生が鶴見に住んだのは1993年からだから、その三年前に既に改称されたが、気付かず古い名称を使ひ続けた)の周りを、自転車でよく回った。尾久も塩浜操も、右回りだった。
よみせ通りの谷中銀座に近い部分は、観光客それも外国人が多い。よみせ通りは、道路の途中までだが今はその先も店やホテルが出来た。地下鉄千駄木駅の影響である。
根津権現の裏門から入り、池に沿って歩いた。ここも外国人観光客が多い。つつじはまだ咲かなかった。鴎外荘から移転させた森鴎外居住跡は、既に基本部分は完成し、あとは壁や内装を工事中だった。

 
権現出てすぐ左。小学校臨海学校は、荷物を竹浪運送が岩井海岸まで運んだ   その先右側

藍染大通りから右折し観音通りの途中を左折し、宮の湯の跡地に出来た観光客向けと思はれる店々を外から眺めたあと、上野動物園へ池之端門から入場した。今回の来園は、桜の咲き具合を見るためだが、西園はまだで、東園は二本ほど花が開いてゐた。

  
ジンダイアケボノ                  ヨウコウザクラ                   全体図。通行人が写らないやうにしたので、上ばかりになった

飛鳥山の崖下に咲く桃色の花も、桜かも知れない。ソメイヨシノばかり見過ぎた。
今までと違ひ今年の花見には 桜木の名を知るために学びの場とし新た楽しみ

反歌  飛鳥山上野の山と双巡りソメイヨシノの外を観るため
このあと、上野中通りから御徒町まで行き、吉池を少し見たあと、アメ横を上野まで歩いた。上野駅の地平ホームを見たあと、帰宅した。上野駅の地平ホームは15番から始まると思ってきたが、13番からでこれは昔と変はらない。上野止まりの東北線は16番が多いので、勘違ひしてゐた。(終)
(3.28追記)道灌山と諏方台の間は、道灌山通りがある。道路を通すために切り開いたのだらうと思ってきたが、昨年藍染川が流れてゐたことを知った。藍染川は駒込方面から不忍池までなので、町屋方面の水が合流するのだらうと、思ってゐた。そして道灌山通りの谷は、藍染川が作った天然のものかと考へ始めた。
今回調べると、大正時代に藍染川の氾濫を防ぐために、町屋を経由して隅田川に放流すると知った。谷はやはり人工の切通しだった。

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