二千六百八十四(朗詠のうた)本歌取り、夏子(樋口一葉、その五)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
三月十九日(水)
第三部は、短冊、色紙、補遺などだ。ここで感心する事は、何年の作で筆跡は何年頃との記述が多い。良寛和尚の書にも、かう云ふ記述ができるとよいのだが。
うぐひすのなくこゑきけバおく霜のこほるあしたものどけからまし
うぐひすに心静める力ありあの世と飛ぶもあしたのことも
次は
かゝるかとミるまにはれて村雲のあとよりすめる秋のよの月
雲は無く晴れが続くと思ふとき雲現れて霧雨と為す
次は
あしびきの山した水の細ながれ浅くミえてもたえじとぞおもふ
山道に沿ふ細ながれ水澄みて夏は冷たく冬は湯気立つ
次は
ほとゝぎすおもはぬよ半の一こゑはまちて聞よりうれしかりけり
三(み)月目の十(とを)と九日 昔には如月二十日 ひとときは雪も二つの時を経て雨に変はりて積もりは消える
反歌
如月の二十日に雪が積もるとはうれしひとときのちに流れる
次は
打なびく柳をミればのどかなるおぼろ月よもかぜはありけり
柳の葉気づかぬ弱き風さへも人に教へるしなやかさあり
次は
春雨のおとをまくらに聞よ半はゆめのただぢものどけかりけり
嵐の夜雨風の音聴きながらゆめは険しき坂駆け上る
次は
山まつの落葉斗ぞうかべけるすみとほりたるかどのいさら井
山奥のいさら井みると葉で埋まり脇から清き水湧き出でる
次は
咲くもありちれるもあれどおしなべてけふや桜のさかりなるらん
積もるあり積もらずもあり降る雪の今日まづ積もるは時外れにて
三月二十日(木)
たかむしろ子らにしかせてふし待の月よすずしきよもぎふの宿
たかむしろふし待つ月をよもぎふの宿はすべてが美しき文
次は
吹きおくるかぜものどかに成にけりまがきの野べのすずろありきに
歌のなか古き言葉の美しさすずろありきはまがきを見つつ
次は
梅雨はまたもふるべくみゆるかなと山のみねの雲のけしきに
五月雨は今日も続くか水足りず暑さも足りず稲作の為
次は
夕されば秋風さそひむしのねに夏をよそなる深山べのさと
山の里昼も涼しく夕方は秋風吹きて既に虫のね
すぐ次の
夕べにはひるの暑もわすれけりうら風涼し高輪のさと
高輪は夏子の時は街はずれ海も近くに夕べは涼し
次は
落滝つ木かげにひゞく声きけばめに見ぬほども涼しかりけり
滝からは冷たき風が湧き起こる木かげと音に併せて涼し
三月二十一日(金)
附録4は
ますかゞみ錦ニつゝむ心地して紅葉のいろニなれる池水
夏山の濃き緑為す山道に現れる湖(うみ)更に濃きかな
一首飛ばして
落葉たく我山里のうす煙心細くもなれる秋かな
落葉焚き街では既に行へず煙きも今や懐かしきかな
次は
左ニも右ニも滝の音きゝてみ山がくれニ行旅ぢかな
山の奥あちらこちらに滝の音登りは険し示すが如し
此の辺り、選びたい歌が少ない。次は
むらさきの雲かと見しハ谷かげの松ニかゝれる藤にぞ有ける
夕立の雲かと空を見上げれば森深くして先黒くなる
次は
散がたの花ニまさりて夏の野の青葉の色のなつかしき哉
真夏日に森の緑は涼しさを若きし時の夏休みかな
歌は続けて書き、振り仮名が無くても昔は正しく読める理由が分かった。昔は破調が無いし、和語のみを用ゐた。夏子の歌に「梅雨」とあり「つゆ」だと字足らず「ばいう」は音読みだからあり得ない。「さみだれ」できちんと合ふ。(終)
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