二千六百八十一(朗詠のうた)本歌取り、夏子(樋口一葉、その四)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
三月十六日(日)
「樋口一葉全集」第四巻上の第二部「歌会資料」へ入り
涼しさはふらぬ里まであまりけりよそにすぎたる夕立の雨

嵐来る逸れた里も雨と風目に入(い)る里と変はることなし

次は
飛鳥川あすはしらねど水色にけふはにほへるあぢさゐの花

飛鳥山明日は戻るか桜咲き人賑はふは休みの日にて

次は
降つもる雪には跡もなかりけりこの暁に春は来ぬれど

降る雪の融けやすきこと春立つの後と思ふも寂しさがあり

次は
おく霜のしろきをミてもまたれけりおそくも有かにはの初雪

鶴見には土あり霜をよく見るも浦和は土が無く思ひ出す

浦和に土が無いのではなく、朝歩く道に土が無い。
次は
朝ぼらけ誰のぼりけむあし曳の山路の霜のあとのミゆるは

明け方に山路の雪に穴があり虫が出でたか水が落ちたか

次は
吹風も今朝こゝちよく成にけり夏ハきにけり竹の下庵

木の下の庵なる故夏の風街と異なりこゝちよく吹く


三月十七日(月)
大河に舟をうかべて涼むよハ夏の外なる心地こそすれ

親潮は神の恵みか真夏日も陸(おか)は涼しく天の心地に

次は
河水のうごかぬかたや瀬なるらんすゞしくやどる夏のよの月

川の水流れぬ瀬には陽が写る形崩れず下は湯に成る

次は
聞だにも涼しかりけり水無月の暑けき空に氷うる声

冬の日は焼き芋の声 いつもの日納豆売りが 暑けきの空に金魚と氷屋の声

反歌  もとの歌暑けき空が気に入りて昔懐かしもの売りの声
次は
何をしてか斗(ばかり)我ハ老にけん年のおもハんこともはづかし

とをあまりむつ路に夏子老ひを詠む家をこのとき継ぎたが故か

次は
かるひともなき庭草をたよりにて虫のねしげしよもぎふのやど

手が付かぬ庭草虫の棲みやすき道歩く人荒れ家と見るも

次は
小はぎ原分行やすくなりにけり霜がれわたる秋のこの頃

今の世は秋に霜がれ早すぎる星熱くなり滅びの兆し

次は
咲匂ふ菊の下水朝ごとに千代の影くむ川づらの里

した水は異なる読みに千代と影川づらの里美し続く


三月十八日(火)
もしほやく烟なるらむ浦遠く枩(まつ)風ごしにほそくミゆるは

烟立つ遠くに霞む山故に動かず消えず春霞ごし

このあと異変が起きる。明治二十八年に佳い歌が無い。実効の美しさがない。歌会は他の参加者に影響を受けるのか。 次はかなり先で
旅まくらきのふハふもとけふ(は)みね夢も都に遠ざかるらむ

旅の宿疲れ見る夢きのふ里けふは山中あす頂きか

次は
萩の花庭にうつして植たれど猶あきの野に行心かな

枇杷の種狭(せま)庭の箱伸び三(み)年陽が少なきかそれから伸びず

次は
ミちのくのまつが浦しま遠くきてことの葉なしに帰るべき哉

吾妻やま福島の西 はがね道乗り物の名はその先の杜の都へよそ(四十)年の前

反歌  ひばり飛ぶ宮城野青葉松島に吾妻新星あぶくましのぶ
反歌は、仙台行きの昔の列車名を並べただけだ。それでも、特急、急行、準急と順番に並ぶ。本歌の「みちのく」に誘導された。
次は
ふく風のたゆめば高く聞ゆ也尾花なミよる野べのむしの音

風の音がたゆめば蝉の声高し森の葉と枝うなるを止める
(終)

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