二千六百七十九(朗詠のうた)本歌取り、夏子(樋口一葉、その三)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
三月十四日(金)
「樋口一葉全集」第四巻上下(分量が多いので分冊)の歌を見ることにした。原稿は濁点が無く、全集では右横に括弧で濁点付きを載せる。此の特集では濁点付きを採用した。今までは信綱の選歌なので、佳作でも漏れたものがあらう。第三期から読み始めた。片仮名のミとハは異字体、他は統一したとある。
散残るもミぢさそひて神無月あはたゞしくもふくあらしかな

うたくらべもミぢさそひて勝れ文神無月へとあらしに勝る

次は
くみあぐる水のけぶりはミえながら井づゝましろにこほるけさかな

土の中暖かくとも外に出る井筒はましろ朝日に光る

次は
山の井のあさくもあらぬ冬なれやくミあぐる水のやがて氷りぬ

山の井は冬深まると凍り付き井戸は増々浅からざるに

第三期第一次まで終了した。古今集の流れを受けた、花や鶯や月を詠った退屈なものが多かった。信綱の選歌を読んだときは、夏子の歌は退屈せず縁語や掛詞を駆使したものが多いと感じた。それに比べて、子規一門は退屈な歌が多い、とも感じた。
樋口一葉全集は、夏子が発表したい歌ではなく、資料にあるものすべてだから、退屈に感じるのであらう。一昨日の退屈に関する歌論が、崩れた瞬間であった。

三月十五日(土)
第三期第二次へ入り
一すぢのかき根のしミづ細けれどなつもながるゝ所なりけり

谷川が夏に細くも流れるは山の湧き水冷たき故に

次は
秋もやゝ河ぞひち(茅)原いろづきてミづのとさむくなれるころかな

川沿ひの草むら春に色づきて水の音にも暖かさあり

次は
吹風のあとなき空をながむればいり相のかねのこゑぞさびしき

強き風止むのち空は雲が無く夕暮れのかねますます静か

次は
はちす葉のうへ安からぬ世成けり露のしら玉かつくだけつゝ

蓮の葉は安き所に露の玉すぐ落ち池の仲間のもとへ


三月十六日(日)
第三期第三次へ入り
なやらひのこゑも聞えず故郷の春はおとなくたち初にけり

なやらひは春立つ前の夜の筈が夏子のほかにここ二十(二文字で、はた)年も

次は
入相のかねの音ばかりもれきつゝたつやかすミの夕ぐれの山

入相のかねの音遠く流れ来る山は静かに木(こ)霊(だま)を返す

第三次は歌が三十五首のみなので、これで終了。第四次へ入り
いさゝ川きのふの春のおもかげもかへらぬミづにかはづ鳴なり

夏の夜に夕立ち強く川速く今日は秋晴れ水押し流す

すぐ次の
かはづ鳴川ぞひの原水音のすゞしき夏に成にける哉

五月雨をか細く流すせせらぎと夕立雲に夏立つを知る

第四次は二十四首のみなので、これで終了。第五次へ入り
風そよぐ夕べのゝべのこ萩原いり日うすれて虫のねぞする

風弱く陽射し穏やか草の芽が緑になりて春は佳き日に

ここで異変が起きる。このあと、第五期から半独立する選歌集を含めて、佳い歌が無くなる。そのやうな中で
初雪ハまだ朝霜の心地してめなれぬほどのおもしろき哉

雪降りを雨と見るほど融けやすくみぞれになりて積もること無し

次は
わがやどの池の藤波立かへりミる人もなし雨のふれゝば

左千夫にも池の藤棚雨の歌皆が梅から桜へ藤へ


三月十六日(日)その二
第四期へ入り、かなり先の
うなゐごが小川に流すさゝ舟のたはぶれに世をゆく身なりけり

病にて先が短き悟りたか夏子たはぶれ世を行くと詠む

次もかなり先の
吹風の寒けき冬に入りてこそ紅葉の色はさかり成けり

照る陽射し強き真夏に入りてこそ山の緑は天(あめ)の心地ぞ

次は
秋も今日暮れぬとつぐる山寺のかねのひゞきぞかなしかりける

夕暮に秋に山寺聞く鐘は三(み)つ合はさりて重ねてかなし

次は
木がらしの風音さむくなれるまでかきねにのこるしら菊之花

木枯らしの風音寒しその故は音が強きか冷さ強きか
(終)

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