二千六百七十一(朗詠のうた)本歌取り、夏子(樋口一葉)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
三月六日(木)
今回は夏子である。信綱の選歌を読んだ。一葉は小説の筆名であり、夏子は和歌に専念しようとしたこともある。信綱は夏子とは呼ばないので、この部分は「樋口一葉全集 第四巻」に従った。
あらたまの年の若水くむ今朝はそぞろにものの嬉しかりけり
新しき年に井戸水汲み初(ぞ)めは神に賜る清き若水
次は
立ち渡る霞をみれば足引きの山にも野にも春は来にけむ
野や山に霞が立ちて草と木と虫や獣は春立つを知る
次は
わたつ海の波のいづこに立ち初て果なくつゝむ春の霞ぞ
山なみの霞はどこに始まるか今は広がり総てを包む
次は
見し花のかげ消えてゆく春山のゆふがすみこそ心ぼそけれ
山の木々見え難くなる夕霞或いは山へ日が入(い)るに由る
次は
さざ波やしがの都のいにしへのおもかげうすく立つ霞かな
さざ波や志賀の湖(みづうみ)霞立つ古き面影霞みて見えず
本歌は「うすく」を掛詞とする序詞なので、本歌取りは「霞」の繰り返しによる序詞とした。
三月七日(金)
梅の花さかぬ垣根もなかりけりみちおもしろき春の此頃
薄暗く蝉の鳴き声絶えざるに街と異なり暑からず 山おもしろき夏の休み日
反歌
上り道蝉の鳴かざるまだ会はず山おもしろき陽ざし避けつつ
本歌の聞かせ所は「みちおもしろき」なので、本歌取りした。
見わたしの林はかすむ春雨に野みちしめりて梅が香ぞする
夕立も森の中には雨僅か山道湿り土の香ぞする
本歌の聞かせ所は「野みちしめりて梅が香ぞする」。
うちなびく河そひ柳あさ東風の吹きのまにまに春や知るらむ
陸(おか)の風松を鳴らすも陽が上り人鳥虫も凪を喜ぶ
「河そひ柳あさ東風の」が本歌の聞かせ所。
きのふけふ氷とけにし池水に春をうつせる青柳の糸
きのふから氷の融けた水(みな)面(も)には緑が映り池も春待つ
「池水に春をうつせる」が本歌の聞かせ所。
いにしへの春にかへれとまねくらんふりにし里の青やぎの糸
いにしへの夏にかへれと皆思ふ星滅びるの前の暑さに
三月八日(土)
さくら花おそしと待ちし世の人を驚かすまで咲きし今日かな
積もる雪遅しと皆が待つ中を今宵は三(み)つ目積もるを願ふ
次は
夕月夜うかびそめたる里河のほそき流に蛙なくなり
里河のほそき流れはたけくらべ五(いつ)年前の美しき歌
次は
鳴しきる池の蛙のもろ声もとほくおぼえてねぶき夜半かな
夜半の池蛙もろ声弱く聴く夏子眠きか蛙眠きか
次は
春雨はのきの玉水たえだえに音もとぎれて夜はふけにけり
春雨は軒より落ちる水僅か昼の目覚めもまた僅かにて
三月九日(日)
夏へ入り
今はとてかふるたもとのかなしきは花の別れにおとらざりけり
たもと変へ心新たに暑さ待つまだ梅雨続き蒸し暑くとも
次は
風寒き我が山かげの遅桜おくれたりとも知らで咲くらん
山陰に遅く咲く花寒きかも染井吉野に非ざる木かも
次は
ひきさししねやのつま琴かげみえて伊予簾のそとをゆく蛍かな
ひきさしし佳きし言葉の続く歌たけくらべ書く年の夏の日
次は
あすよりは秋のたつべき野辺なれや薄みだれて村雨ぞ降る
あすよりは秋立つ村と皆思ふ夏の祭りは今日限りにて
秋に入り
おのづからこぼれて生ひし種ぞとは見えぬ垣根のあさがおの花
おのづからこぼれて咲いたひるがおか 調べてみれは種はまれ違ふ株のみ種ができ あとは茎にて春に芽を出す
反歌
庭に咲く葉があさがおとやや違ふゆうがおと思ひふた年経つも
次は
心ある海士やうゑけんみちのくのまがきが島のしら菊の花
ひるがおと思ふ訳ありもう一つ 夏の終はりに花が咲く あさがおならば夏に咲く筈
反歌
心ある住み人が撒くあさがおかひるがおの花秋に咲き出す
秋は夏子に合はぬのか、夏子の秋の歌に小生が合はないのか、少しに留まった。
冬に入り
色かへぬまつの林にまじりてはのこる紅葉も寂しかりけり
色かへぬ園の木と土此の冬は雪積もらずに既に春立つ
夏と冬は、信綱の選歌が元々少ない。(終)
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