二千六百四十七(朗詠のうた)本歌取り、良寛和尚(住居不定時代)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
二月七日(金)
布留散東に次いで、久賀美を取り上げる予定だった。しかし異変が起きた。久賀美に本歌取りしようとする歌が無い。布留散東と久賀美の編集時期の差か。だとすれば、良寛和尚の作風変化が分かるかも知れない。その背後にある、志向の違ひも分かるかも知れない。
志向の違ひとは、坐禅から阿弥陀仏へ広がったことが挙げられる。道元が坐禅から、晩年に法華経へ広がったこととも関係するかも知れない。
「定本 良寛全集 第二巻歌集」のよいところは、このあと「横巻」と「はちすの露」のあとは、年代順に分類される。年代順最初の「住居不定時代」は
浜風よ心して吹けちはやぶる神の社に宿りせし夜は

夜の風強くは吹くな社には神と和尚が三つを歩む

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有馬の何てふ村に宿りて
笹の葉に降るや霰のふる里の宿にも今宵月を見るらむ

休まずに歩む馬あり有馬まであと僅かにて水島の寺

「降るや霰の」までがふる里の序詞なので、本歌取りもそれに倣った。
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草枕夜ごとに変はる宿りにも結ぶは同じふるさとの夢

草枕今西の洋(うみ)其の前は草分け和(やまと)懐かしき宿

「草枕」は枕詞であるとともに「結ぶ」に掛かるとあるので、本歌取りも枕詞とともに「草分け」に掛けた。

二月八日(土)
昨日までの本歌で、良寛和尚の若い頃こそ万葉調で、晩年は世俗化してしまった、との印象を持った。ところが、その次から異変が起きる。古今調が続く。しかし先頭の歌は、まだ万葉調を残す。それが、すぐ次の
立田山もみぢの秋にあらねどもよそに勝れてあはれなりけり

飛鳥山桜の春に非ざるも稲荷と滝は趣きがある 離れてゐるが

古今調とは、歌の為の歌。貴族が暇つぶしに詠んだものだ。昔は万葉集を読めなかったから、古今集を模範に貴族以外にも広がった。六首飛ばしてまた、万葉調になる。
仁(に)保の海照(てる)月影の隈なくば八つの名所一目にも見む

仁保の海安土八幡八(や)つの内見つからざるは 五(い)百(ほ)年の前に選ばれ もう一つ七(なな)十(そ)と五つ前にも選ぶ

反歌  二つあり近江八(やっ)つは五(い)百(ほ)年に琵琶湖八(やっ)つは七(なな)十(そ)と五つ
仁(に)保の海は、琵琶湖の別名。
近江八景は、比良の暮雪、堅田の落雁、唐崎の夜雨、三井の晩鐘、粟津の晴嵐、矢橋の帰帆、瀬田の夕照、石山の秋月。室町時代に作られた。
琵琶湖八景は、「暁霧」海津大崎の岩礁、「涼風」雄松崎の白汀、「煙雨」比叡の樹林、「夕陽」瀬田石山の清流、「新雪」賤ケ岳の大観、「深緑」 竹生島の沈影、「月明」 彦根の古城、「春色」 安土八幡の水郷。昭和二十五年に選ばれた。

二月九日(日)
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木曽路にて
この暮れの物悲しきにわかくさの妻呼びたてて小牝鹿鳴くも

わかくさの妻恋村は四阿(二文字で、あづまや)を隔て信濃へ 木曽路なる妻籠の隣馬籠には昔も今も境とし昔は信濃今は岐阜側

反歌  木曽路にて和尚が使ふわかくさを妻恋妻籠二つ重ねる
「若草の」は、妻の枕詞。
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さむしろに衣片敷きぬばたまの小夜ふけ方の月を見るかも

南木曽町庵の址にさむしろの和尚の歌を刻む石あり

古典庵址は木曽八景の一つで、観月の名所。すぐ次の
つれづれに月をも知らで更科や姨捨山もよそにながめて

更科は月に名高く姨捨は田毎も和尚歩みひと筋

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言の葉もいかが書くべき雲霞晴ぬる今日の不二の高根に

桜咲く不二を背にして砂浜と森と社と川と山並み

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富士も見え筑波も見えて隅田川瀬々のことの葉尋ねてもみむ

春は花夏は隅田に秋は空冬は筑波と富士途切れ無し

此の辺りの歌を小生は万葉調と見る。「瀬々」を「世々」の掛詞と解説にあり、古今調と解釈する人もゐるが、個々の技法ではなく、全体を見るべきだ。
すぐ次の
都鳥角田川原に住馴れて遠路近(三文字で、をちこち)人に名や問(とは)るらむ

都鳥都は遠い徳川が倒れ足元今は都に

この本歌は、確かに古今調だ。
十五首を飛ばして
うつせみは 常無きものと むら肝の 心に思(も)ひて 家を出で 親族(二文字で、うから)を離れ 浮雲の 雲のまにまに  行く水の 行方も知らず 草枕 旅行く時に たらちねの 母に別れを 告げたれば 今はこの世の 名残(なごり)とや   思ひましけむ 涙ぐみ 手に手を取りて 我が面(おも)を つくづくと見し 面影は 猶(なほ)目の前に あるごとし  父に暇(いとま)を 乞ひければ 父が語らく 世を捨てし  捨てがひなしと 世の人に 言はるなゆめと 言ひしこと 今も聞くごと 思ほえぬ 母が心の 睦まじき 其睦まじき み心を はふらすまじと 思ひつぞ 常憐れみの 心持(も)し 浮き世の人に 向ひつれ 父が言葉の いつくしき このいつくしき み言葉を 思ひ出でては 束の間も 法(のり)の教へを 腐(くた)さじと 朝な夕なに 戒(いまし)めつ これの二つを 父母が 形見となさむ 我が命 この世の中に あらむ限りは

家を出る和尚へ父が世を捨てし捨てがひなしと云はれるな このみ言葉を守りつつ法(のり)の教へを腐(くた)さじと 和尚の心変はることなし

五首を飛ばし
終日(二文字で、ひねもす)に夜もすがらなす法(のり)の道うき世の民に回(ゑ)して向かはむ

終日(二文字で、ひねもす)は食べる時にも夜もすがら寝(ねむ)る時にも法(のり)を外さず

これで「住居不定時代」を終へる。

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