二千六百四十九(朗詠のうた)本歌取り、良寛和尚(五合庵時代)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
二月九日(日)
次は「五合庵」時代に入り、四首を飛ばし
名にし負ふ今(こ)宵(よひ)の月をわが庵に都の人とむかふ隈なさ

満ちる月隅田の江戸と鴨川の都の人も隈なきを見る

解説に、都の人とは江戸の亀田鵬斉とあるが、あの当時に江戸を都と呼んだか。
十三首飛ばし
越の空も同じ光のつきかげをあはれと見るや武蔵野の原
ふるさとをはろばろここに武蔵野の草葉の露と消(け)ぬる子らはや

越を出て川中島へはるばると多くの人が草葉の露に
ふるさとを出でて若人武蔵野へふるさと寂れ武蔵野は混む 今の世の中

四十三首飛ばし
春の日に海の表を見渡せば霞に見ゆる海人の釣舟

春の海のどかな海人の船の内力仕事に汗と疲れと

二首飛ばし
佐渡島の山はかすみの眉ひきて夕日まばゆき春の海原

佐渡ヶ島山と霞は動かずに春の海辺はのどか波無し

五首飛ばして
子どもらと手まりつきつつ霞立つ永き春日を暮らしつるかも

手まりつき和尚の名前を広めたは子どもと遊ぶ暮れるを惜しみ

一首飛ばした「この宮のの森の木下(こした)に子供らと」の歌は、ほぼ同じものが布留散東にある。二首飛ばした後の鉢の子の長歌四首と短歌三首も、短歌だが類似したものが既に出た。
すぐ次の
飯乞ふと我来て見れば此園の草木はいたく生ひにけるかも

飯乞ふは人々善きを積む為に草木は伸びて久し振りかも

十首飛ばし
はながつみ数にもあらぬ賤が身をながくもがもと祈る君はも

はながつみ数ある家を出たなかで和尚は生きる姿で示す

「はながつみ」は、「かつ」の枕詞。三首飛ばして
五月雨の雲間をわけてわが来れ経誦む鳥と人は言ふらむ

家を出る唐(から)歌を書く筆が立つ大和歌詠む経を誦む鳥

三首飛ばして
ただ頼む三界六(りく)道の田長(をさ)来て三(みつ)瀬の川に鳴きわたるかな

ほととぎす田植ゑを知らせる田長ともあの世此の世を結ぶ鳥とも


二月九日(日)その二
六十九首飛ばして
道の辺の草葉の露と消はせでなおもうき世に有明の月

病にてあの世へ入り経を誦む経誦み鳥を観てふと気付く

本歌の「有明」は「うき世にあり」と掛詞。小生は掛詞が嫌ひなので、良寛和尚にも掛詞があり古今調かと一瞬驚くが、六十九首飛ばした上だ。極めて稀だ。
六十八首飛ばして
誰れしにも浮世の外と思ふらん隈なき月のかげを眺めて

陽と月は浮世の外に違ひ無し強き光と静かな光

すぐ次の
渡津海(み)の青海原はひさかたの月澄みわたるところなりけり

わたつみの住む海に射す陽と月も神が住む故三(み)柱揃ふ

十首飛ばして
山かげの岩間を伝ふ苔水のかすかに我はすみわたるかも

山かげの岩間に落ちる滝音の激しく和尚求める道は

「苔水の」までが「かすかに」の序詞なので、本歌取りも序詞を用ゐた。
五首飛ばして
冬ながら世の春よりも静けきは雪に埋もれし越の山里

前の越吉田郡(こほり)の寺よりも仏に励む国上山里

永平寺は越前吉田郡にある。すぐ次の
山かげのまきの板屋に音せねど雪のふる夜は寒くこそあれ

山の中板の庵に降る雪の寒さ仏の道へと続く

すぐ次の
小夜更けて雨や霞の音すなり今や御神の出で立たすらし

夜も更けて風吹き渡る山と風二柱の神目を覚ましたか

すぐ次の
世の中にかかはらぬ身と思へども暮(くる)るは惜しきものにぞありける

家を出た身と思へども日や秋が暮れるは寂し朝と春待つ

二首を飛ばし、二祖慧可が雪の日に左腕を切った話は嘘の作り話なので三首飛ばし
今よりは幾つ寝ぬれば春は来む月日よみつつ待たぬ日はなし
今よりはいつかいつかとあづさ弓まだ来ぬ春を数へて待たむ

土の下油や石を掘り燃やす春待つ心今は分からず
あづさ弓春を冬には秋の夜の長きを夏はそれぞれ待たむ

「あづさ弓」は「春」の枕詞、「秋の夜の」は「長き」の枕詞。

二月十日(月)
すぐ次の
こき走る 鱈にも我は 似たるかも 朝(あした)には 上(かみ)にのぼり かげろふの 夕さり来れば 下るなりけり
こきはしる 鮎にも我は 似たるかも 朝(あした)には 上(かみ)にのぼりて ゆふべには 下(しも)へ下りて 又其の下へ

こき泳ぐ鮪(まぐろ)に我は似たるかも 朝(あした)には歩き始めて ゆふべには歩みを止めて明日へ備へる

鮪は 止まると息ができずして寝ても泳ぎ続ける。そこだけが異なる。
五首飛ばして
組さかり国へだつとも同じ世と思ふ心を君頼みなば

三首飛ばして
古寺にひとりしをればすべをなみ樒摘みつつ今日も暮らしぬ

今までの寺は多(さは)をり庵には樒で保つ和尚と仏

すぐ次の
つれづれと眺め暮らしぬ古でらの軒端を伝ふ雨を聞きつつ

つれづれは毒(わる)き三つ越え生き示す軒端の雨は定まる心

次は、連記で
濁る世を澄めともよはずわがなりに澄まして見する谷川の水
うき世をば高くぬがれて国上山赤谷川の水をしるべに

濁る世を済まして見るは見方にて気に掛けないの旨には非ず
濁る世を高きに登る国上山和尚の目指す仏への道

すぐ次の
浮雲のいづくを宿とさだめねば風のまにまに日を送りつつ

浮雲と宿定めぬは欲するの心を越えた和尚の心

二首飛ばし
“詫びぬれど心は澄めり草のいほその日その日を送るばかりに

わびしくも心の澄むが草の庵三つの毒(わる)き越えて静かに

すぐ次が
こと足らぬ身とは思はじ柴の戸に月も有りけり花もありけり

こと足りる山の庵の柴の戸は仏の道を登る中ほど

十五首先の
道の後越の浦波たち返りたち返りみる己が行ひ

道の前越の敦賀を山超えて鶴が舞ふかも米原までも

解説には、本歌の「立ち返り」を「波が寄せ返す」と「くり返す」の意の掛詞とするが、「たち返り」の同音繰り返しによる序詞とも取れる。本歌取りは、「敦賀」「鶴が」と「舞ふ」「米原」と二つの同音繰り返しにした。
三首飛ばして
何ゆゑに我身は家を出でしぞと心に染めよ墨染の袖
何ゆゑに家を出でしと折ふしは心に恥じよ墨染の袖

家を出た和尚の心変はらぬを二つの歌が墨染の袖

この先に五十二首あるが、終はりとしたい。(終)

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