二千六百四十六(朗詠のうた)旅は、知識が広がる(京阪、京福、叡山)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
二月十四日(金)
旅の醍醐味は、知識が芋づる式に広がることである。今回は琵琶湖の周りだったが、京阪電鉄を調べるうちに、三条駅の謎が三十四年ぶりに解決した。つまり、京津線終点の先に、京阪本線があった。京阪本線が地下へ移動したのは、出町柳まで延長したためだった。
出町柳は、叡山電鉄との乗換駅である。京阪が延長する前は、どうやって叡山電鉄に乗ったのかを調べると、市電が走ってゐた。廃止の後、十三年間は鉄軌道と乗換が出来ない駅だった。
叡山電鉄も、聞かない名称である。調べると、京福電鉄叡山線を分社化し、後に京阪電鉄が筆頭株主になり、更には完全子会社になった。なるほど京阪が延長する訳だ。
更に調べるとと、京福電鉄も京阪グループだとわかった。京福電鉄は、福井県内で事故を続発させ、永平寺へ行く線は廃止し、残った鉄道はえちぜん鉄道に譲渡した。三十二年前に永平寺へ行ったときは、寺の近くに駅があったが、今は昔になった。
京都と福井で展開した理由は前身の京都電燈が、京都は夜間の電力需要が多く、福井は織物工場が稼動する昼間の電力需要が多いため、電力を融通するため京福送電線を開通させた。
叡山電鉄は、京阪本線が出町柳迄延びたので、収入が2.5倍になり、収支はやや黒字になった。ところが京都市営地下鉄烏丸線が国際会館まで延長されたため、乗客が減り出した。地図を見ると、地下鉄は真っすぐ伸びず叡山鉄道のほうへ向かふ。なぜこんな計画を立てたのか、京都の交通行政は全体で繁栄する思想が無い。
京阪電鉄を調べると、興味深い記事に出会った。昭和八年に複巻電動機による回生制動の付いた車両を京津線に導入した。尤も八両のみで、最初の四両は種車より流用した直巻電動機と発電制動(発電した電気は抵抗器で消費する)、後の四両のみだった。しかも下り勾配しか回生制動が使用できず、直接制御だったため連結不可だった。
復巻電動機は、昭和四十年代後半に東急など私鉄が採用し、回生制動に威力を発揮した。それに対し、国鉄は直巻電動機と発電制動だった。その四十年前に採用したとは、京阪の進取性が高く評価される。

二月十五日(土)
延暦寺は、中学生の時に修学旅行と、三十五年くらい前に行った。しかし京福電鉄叡山線に乗った記憶がない。インターネットで調べると、京都駅前から直通バスで行ったやうだ。直通バスは、叡山電鉄の強敵だ。しかし本数が少なく混むことが多いやうだ。立ったまま一時間はつらい。小生が行ったのは混まない時季だったのだらう。
京都から延暦寺へ行くのに、地元の人たちの意見として、坂本経由がお薦めださうだ。
一、京都駅前からバス 料金が安く早いが、便数が少なく混むと座れない。
二、京都駅からJR湖西線、バス、ケーブルカー 乗り継ぎが少なく、琵琶湖も見られる。
三、京都駅からバスで出町柳、叡山電車、叡山ケーブル、ロープウェイ 乗り継ぎが多く時間もかかり料金も高め。途中で京都市内や京都北部の山が見られる。
京都市営交通について、バスの混雑がたびたび報道されたが、バス一日乗車券700円は二年前の九月末で廃止になった。平成三十年から四年前までは、市バスと京都バスの一日券600円が販売された。平成三十年までは500円だった。
これは、地下鉄とバスの組み合はせに誘導するもので地下鉄バス一日券は、京都市営地下鉄と市営バス全線、京都バス(一部路線を除く)、京阪バス(一部路線を除く)、JRバス(一部路線を除く)に乗れて1100円。四年前までは一日券900円、二日券1700円だった。二日券は廃止された。
次の旅叡山線に沿ふ辺り 三千院と鞍馬山少し離れて銀閣寺下鴨神社と 見込み立たずも

反歌  調べると京都に未だ行かざる乃処は多し心は弾む(終)

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