二千六百四十一(朗詠のうた)本歌取り、萬葉集巻第十五、第十七、第十八
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月二十六日(日)
巻第十五に入り
わたつみの沖つ白波立ち来らし海人娘子ども島隠る見ゆ

まだ低く飛ぶは田畑や家が見えわたつみに出て遥か小さく

次は
離れ磯(そ)に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも

鎌倉の大(おほ)銀杏(二文字で、いちやう)の木久しきを過ごし実朝短く終はる

次は
海原を八十島隠り来ぬれども奈良の都は忘れかねつも

雲の海八十雲隠り八十所行くも老ひては国の内のみ

次は
石走る滝もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ

潮騒と滝の音蝉の声聞けば海の思ひ出山の思ひ出

次は
我が命を長門の島の小松原幾代を経てか神さび渡る

御仏を信濃の多き山並みは高きに加へ神さびわたる

本歌は、わが命長かれと願ふその長門と序詞(一句なので枕詞的だが、長かれ願ふが省かれたと考へ二句)なので、本歌取りも、御仏を信じるから、信濃を誘導した。そのすぐ次の
月(つく)読の光を清み夕なぎに水手(二文字で、かこ)の声呼び浦廻漕ぐかも

月(つく)読の満ちる時には夕凪に月は東に清く輝く

そのすぐ次の
山の端に月傾(かたぶ)けばいざりする海人の灯火沖になづさふ

日が沈み沖の漁り火見渡せば弱き風あり水になづさふ

本歌の聞かせ所は「なづさふ」と見た。本歌取りも、この語を枕詞みたいに用ゐた。
家(いへ)人は帰りはや来(こ)と伊波比島斎(いは)ひ待つらむ旅行く我れを

家(いへ)人にはや帰り来(こ)と見送られ今日もはてなむ荒れ野旅行く

前半は万葉、後半は牧水の本歌取りになってしまった。すぐ次の
草枕旅行く人を伊波比島幾代経るまで斎ひ来にけむ

草枕旅に事なき事願ふ神と仏と火打ち石にて

次は
都辺(へ)に行かむ船もが刈り薦(こも)の乱れて思ふこと告げ遣(や)らむ

大和辺へ行かむ空飛ぶ船を見て心に浮かぶ里心かも


一月二十七日(月)
巻第十六は通過し、巻第十七は
わが背子を安我松原よ見わたせば海人娘子ども玉藻刈る見ゆ

鶏が海の松原千(ち)と名乗る沼津牧水見晴らし守る

「わが背子を」について、訳だと序詞のように訳し、解説だと枕詞と書いてあるので、本歌取りも、鶏が卵を生むその海の、と一句の序詞風(非汎用枕詞)にした。
昨日こそ船出はせしか鯨魚取り比治奇の灘を今日見つるかも

鯨魚取り比治奇の灘は太刀の後玉藻ひじきと関はりありや

比治奇の灘はこの本では、所在不明だが山口県西方の響灘か、と推定する。
此の辺りは、恋愛の歌も素朴な心情を詠ったものが多い。挽歌もある。
射水川い行き巡れる(中略)渋谿の崎の荒磯に朝なぎに寄する白波夕なぎに満ち来る潮のいや増しに絶ゆることなく古ゆ今の現にかくしこそ見る人ごとにかけてしのはめ

巻第十七の家持は反歌と表示しない 渋谿の崎の荒磯に寄する波いやしくしくに古思ほゆ
沼津浜千(ち)もとの松に寄せる風昼と夜とに向きを変へ朝と夕凪日毎に起きる

反歌  沼津浜千(ち)もとの松に寄せる風絶へずに歌は今へと続く
本歌の長歌反歌の関係を、本歌取りにも採用した。
東(あゆの)風いたく吹くらし 奈(な)呉(ご)の海人の釣りする小(を)舟漕ぎ隠る見ゆ

あゆの風高岡からは腰の潟よろづ葉走るくろがねの路

東(あゆの)風は、越の言葉で東風。奈呉は、高岡から新湊にかけての海岸。今は万葉線(高岡軌道線と新湊港線を合はせた線名)が走る。

一月二十八日(火)
巻第十八は
神さぶる垂姫の崎漕ぎ巡り見れども飽かずいかに我せむ
右の一首は田辺史福麻呂
垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ
右の一首は遊行女婦(四文字で、うかれめ)土(はに)師
垂姫の浦を漕ぐ船梶間にも奈良の我(わぎ)家(へ)を忘れて思へや
右の一首は大伴家持

垂姫は今の氷見市大浦、堀田付近とある。遊行女婦(四文字で、うかれめ)は、官人の宴席に侍した、教養のある女性とある。
垂姫を連れる舟にて 福麻呂は神さび思ひ 家持は我家忘れず 遊行女婦は学びが深く言ひ継ぎにせむ

反歌  垂姫は姫と異なり地(ところ)の名うめかれ学び深きの乙女
次は
三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ

三島野は高岡射水狩場にも雪にて止める天の声かも

次は
阿尾の浦に寄する白波いや増しに立ちしき寄せ来東風(二文字で、あゆ)をいたみかも

氷見の北阿尾の海辺はあゆが吹き昔と同じ白波が立つ

次は
大(おほ)汝(なむち) 少(すくな)彦(びこ)名の 神(かむ)代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く妻(め)子見ればかなしくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と朝夕(よひ)に 笑(ゑ)みみ笑(ゑ)まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地の 神言(こと)寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 離れ居て 嘆かす妹が いつしかも使の来むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく 南風(二文字で、みなみ)吹き 雪消(げ)溢(はふ)りて 射水川 流る水(み)沫(なわ)の 寄る辺なみ 左(さ)夫(ぶ)流(る)その子に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居 奈呉の海の 奥を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ [佐夫流と言うは遊行女婦の字(あざな)也]

反歌(二首略)  紅はうつろふものそ橡のなれにし衣になほ及かめやも
南吹き雪解け速し射水川泡はすぐ消え 奈呉の海奥まで冷えて泡は届かず

反歌  栄えるはうつろふものぞ土と空暑くなりすぎすぐに崩れる(終)

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