二千六百三十九(朗詠のうた)歌会始
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月二十三日(木)
歌会始が昨日行はれた。年齢順に読まれ、一番目は佐久の金井寬さんで、小澤征爾さんと松本を詠った。小澤さんのお父さんは満洲開拓団で、征爾の名は板垣征四郎と石原莞爾から一字づつ取った。次の方の歌が「満開の」で始まるので連作かと一瞬驚いたが、無関係だった。NHK信州ニュースのホームページには
皇居で「歌会始」 佐久の金井寛さんの歌も披露

が載った。
新春恒例の「歌会始」が、22日、皇居で行われました。
(中略)長野県佐久市の金井寛さん(77)は、去年亡くなった世界的指揮者の小澤征爾さんが創設し松本市で長年開かれてきた音楽祭について、「マエストロ 小澤の夢を はぐくみて 楽都となれり 山岳の街」と詠みました。
(中略)歌会始のあとの記者会見で、「緊張した一日でしたが、やっと終わり、ほっとしています。『楽都』松本は、北アルプスの玄関口なので『岳都』とも書くのですが、それを天皇陛下もご存じで、『常念岳に登ったことがありますけども、あなたはいかがですか』と尋ねられました」と話していました。

放送された内容の動画は、天皇様が松本で小沢さん指揮のオーケストラを聴かれた話を金井さんにされた話だった。

天皇様を始め、皇后様、皇族方は、全員が歌に工夫をされた。天皇様は「⽬(ま)⾒(み)」、皇后様は「かの⽇々の夢」、皇嗣様は「記憶おぼろに」、皇嗣妃様は「編む先、⼆つ三つ」、愛子様は「ふたたび会はむその⽇まで、それぞれの夢」、佳子様は「夢中になりて、なほあざやかに」、華子様は「夢のはじめに」、久子様は「ヨルダンの難民キャンプ」、承子様は「バク、三十年をわが夢食みつつ」。
召人、選者の歌では、ピーターマクラビンさんは「葉」と「花」、係り結び、と二つ工夫をされた。なをblossom(七文字で、ブロッサム)は外国人が詠んだから美しいのであって、日本人が真似をしてはいけない。三田村さんは「みじかき夢のかけら」に工夫をされた。
三枝さんの「叶ひたる夢」「叶はざる夢」と「秋天」「柿」は、漢詩など探したが分からなかった。果物や野菜の夢は、夢占ひで成果を表すさうだ。これかな。
永田さんは、「さざんくわ」が平昌オリンピックの主題歌で、夢を追ふに沿ったか。
大辻さんは「汀(みぎは)」が、水際と明け方の境と二つの意味を連想させるし、「あなうら」と珍しい語は枕詞と同じ効果があり、それら全体が夢の中、つまり「あけがた」にも夢と現実と二つの意味を持たせ、歌が循環した。これは勝れた歌である。

以上は宮内庁とNHKのホームページを見て書いた。日本テレビのホームページに「全文紹介」とあったので、最初これを見たが、一部の歌に英文が付いてゐたので、それ以上は見なかった。宮内庁は、真似をしてはいけない。すべての文章を英語で書き、その中に歌の英訳を載せるなら問題は無い。日本人しか見ないページに英文を載せることは、かつて失敗した悪質な英語公用語の再来である。
小生は「うたかい始」を句の先頭に折り込んだ。
嬉しきも楽しき事も悲しきも今は皆夢始めは長し

折句で作った為、小生の心境ではなく、生きとし生けるものすべての心境を詠んだ。(終)
(追記)この歌の前に、普通の歌も作ったが思ひ出せなかった。作った歌は捨てないことにしてゐるので、痛恨の失態であった。それから四時間ほどして、萬葉集の書籍を見て「ぬばたま」の語で思ひ出した。
満ちる月広がる星と見る夢はぬばたまの夜を静かに照らす


追記一月二十四日(金)
信濃毎日新聞のホームページに、次の記事が載った。
皇居・宮殿「松の間」で開かれた「歌会始の儀」には、県内からは唯一の入選者として佐久市の金井寛さん(77)が出席した。(中略)儀式後の取材に「連綿と続いてきた伝統の重みを感じた。参加できて感激した」と話した。
(中略)金井さんがこの歌を詠む際、浮かんだのは小澤さんの情熱的で迫力ある姿だった。松本市で毎夏開く「セイジ・オザワ松本フェスティバル」と前身の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で計2回、小澤さんが指揮するオーケストラ公演を鑑賞していた。ボランティアなどで(中略)支える市民、信州大(本部・松本市)工学部の学生として自身が1年間を過ごした松本の街並みにも思いをはせた。
短歌を始めたのは、2021年に102歳で亡くなった母親の寿々子さんの介護で、自宅にいる時間が増えた5年ほど前。(中略)4回目の応募で入選した。

佐久の方が松本を詠った経緯が分かった。
儀式後には天皇、皇后両陛下と懇談。天皇陛下からは「私は山が好きで常念岳に登ったことがあります。金井さんはありますか」と尋ねられ、自身も経験があると伝えた。皇后さまからは「私の祖父は旧制松本高校に関係があるんですよ」と声をかけられたという。皇后さまの祖父(中略)故江頭豊さんは、旧制松本高校の卒業生だった。

皇后様の祖父の話は、初耳だった。

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