二千六百二十二(朗詠のうた、普通の歌)子規の歌
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月八日(水)
「竹の里歌」は、子規滅後に左千夫、秀真ら七人が、二千首のなかから長歌十五首、旋頭歌十二首、短歌五百四十四首を選歌したものである。まづ明治三十年。
柿の実のあまきもありぬ柿の実の渋きもありぬ渋きぞうまき

渋柿は甘みと渋みより多し 干すと渋みは溶けざるになりて渋柿美味しく甘し

反歌  甘柿と渋柿あれど干し柿にすると変はりて渋きぞうまし
明治三十一年に入り
宮島にともす灯籠の影落ちて夕汐みちぬ舟出さんとす

長き橋手摺りに並ぶ灯籠は水面(みなも)も光り天つ国見る

次は
月細き隅田の川の夕間暮待(まつ)乳(ち)を見ればむかし偲ばゆ

待(まつ)乳(ち)山(やま)観音さまのすぐ近く夕間暮れには隅田に赤く


一月九日(木)
明治三十二年に入り
足引の山のしげみの迷ひ路に人より高き白百合の花

足引の山道行けば人よりも高き蚊柱見て見ぬふりを

次は
八百萬千萬神のいでたゝす雲の旅路はにぎはしきかも

八百萬千萬神が住む処森を壊すな星を壊すな 海も壊すな

明治三十三年に入り
ちはやふる神の木立に月漏りて木の影動くきざはしの上に

ちはやふる神が住む故木を切るな油燃やすなプラを作るな

次は
朝ながめ夕ながめして我庭の菊のはな咲く待てば久しも

朝探し夕探しても文は来ず悪きの箱に誤るも無し

「迷惑メール」は固有名詞として(朗詠のうた)で使ってもよいだらう。しかし「悪きの棚」とし、推敲で「悪きの箱」とした。
次は旋頭歌で
常無きは干潟の岩にふる雪のごと汐満つと波の来よらば消えざらめやも

河の上降り続く雪すぐにも消える 街中の土に非ざる道また同じ


一月十日(金)
明治三十四年に入り
瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

瓶にさす花は周りの生き物や草木と隔て好きには非ず

動植物は、生態系の中で生育するべきだ。
いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす

道路では雪が積もらずすぐ融ける 専用軌道は白一面線路に沿ひて帯状長し

反歌  毎年の都電廃止に池之端専用軌道の雪も最後か
明治三十五年に入り
赤羽根の汽車行く道のつくづくし又来む年も往きて摘まなむ

赤羽根の汽車行く道は二つありかつて一つは貨物専用
汽車のほか京浜東北一つあり残り二つも今は電車に

「又来む年」は来なかった。子規最後の年である。専用軌道の雪は、これで最後かと思った翌年も見る事ができた。(終)

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