二千五百六十四(朗詠のうた)牧水「みなかみ紀行」の歌を鑑賞(その三)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十一月二十五日(月)
みなかみ紀行の十月廿七日は、歌が極めて多い。三群に分かれ、第一群目は
下草の笹のしげみの光りゐてならび寒けき冬木立かも
あきらけく日のさしとほる冬木立木々とりどりに色さびて立つ
時知らず此處に生ひたち枝張れる老木を見ればなつかしきかも
散りつもる落葉がなかに立つ岩の苔枯れはてて雪のごと見ゆ
わが過ぐる落葉の森に木がくれて白根が嶽の岩山は見ゆ
遲れたる楓ひともと照るばかりもみぢしてをり冬木が中に
枯木なす冬木の林ゆきゆきて行きあへる紅葉にこころ躍らす
この澤をとりかこみなす樅栂の黒木の山のながめ寒けき
聳ゆるは樅栂の木の古りはてし黒木の山ぞ墨色に見ゆ
墨色に澄める黒木のとほ山にはだらに白き白樺ならむ
第二群は
登り來しこの山あひに沼ありて美しきかも鴨の鳥浮けり
樅黒檜(び)黒木の山のかこみあひて眞澄める沼にあそぶ鴨鳥
見て立てるわれには怯ぢず羽根つらね浮きてあそべる鴨鳥の群
岸邊なる枯草敷きて見てをるやまひたちもせぬ鴨鳥の群を
羽根つらねうかべる鴨をうつくしと靜けしと見つつこころかなしも
山の木に風騷ぎつつ山かげの沼の廣みに鴨のあそべり
浮草の流らふごとくひと群の鴨鳥浮けり沼の廣みに
鴨居りて水(み)の面もあかるき山かげの沼のさなかに水(み)皺(じわ)寄る見ゆ
水皺寄る沼のさなかに浮びゐて靜かなるかも鴨鳥の群
おほよそに風に流れてうかびたる鴨鳥の群を見つつかなしも
風たてば沼の隈(くま)囘(み)のかたよりに寄りてあそべり鴨島の群
第三群は
沼のへりにおほよそ葦の生ふるごと此處に茂れり石楠木の木は
沼のへりの石楠木咲かむ水無月にまた見に來むぞ此處の沼見に
また來むと思ひつつさびしいそがしきくらしのなかをいつ出でて來む
天地のいみじきながめに逢ふ時しわが持ついのちかなしかりけり
日あたりに居りていこへど山の上の凍(しみ)いちじるし今はゆきなむ
この日は二十六首あり、牧水が本調子になった。旅の歌人と云はれても、旅に慣れるまでは推敲不足あり、本歌取りにする歌ありだった。本日は本調子になり、もはや手も足も出来い。
翌廿八日で、みなかみ紀行は終了する。最終日は歌が無いので、廿七日の字余り歌を本歌取りした反歌の長歌を作り、終了としたい。
牧水は本の調べに戻りたか 旅の疲れはいで湯にて騒ぐ風にて落ち葉とともに
反歌
山中に深き落ち葉の枯木道出会ふ紅葉に疲れ吹き飛ぶ(終)
追記十一月二十六日(火)
昨日は、二十六首に圧倒され赤字の歌しか、気付かなかった。本日は、緑字の歌に気付いた。これらを本歌取りすると
岸辺より枯枝越しに立ち居れば鴨鳥の群れ泳ぐを止めず
沼の上(へ)に互ひに憩ふ鴨鳥は静けさ深く心が沈む
沼の縁(へり)葦の如くに石楠花の木は茂れるに気はまた沈む
沼縁(へり)に石楠花の咲く盛りにはまた来て見るを心に決める
小生は、心が沈んだりはしないが、牧水に合はせた。
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