二千五百四十(うた)水上旅行記
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十一月四日(月)
本日はSLぐんまレトロ水上号で、高崎から水上まで往復した。家から高崎までは、熊谷まで在来線、熊谷から高崎までは新幹線に乗った。熊谷は改札内にみどりの窓口が無いので途中下車し、外のみどりの窓口で特急券を買った。新幹線を使っても熊谷乗り替へだと二十分弱しか時間短縮にならない。しかも予定より早く家を出たので、熊谷の新幹線改札を入った後に、四十分待ち時間があることが分かった。
売店に入ったが、ビールや酎ハイなどだけで日本酒が無い。何も買はずに上りホームへ行って、列車を見送ったあと、下りホームへ行ったり、待合室へ行って時間を過ごした。特急券八百六十円のジパング倶楽部で三割引きの六百十円が無駄だが、要は熊谷駅の新幹線乗り場を試してみたかった。急ぐのなら、大宮で新幹線に乗り替へた。
来る度に前の訪れ回想し八つと十(と)歳(とせ)偲び懐かし
「く、ま、か、や、し」を句の先頭に付けた。熊谷は、浦和へ引っ越した直後の十八歳の時に来たのが最初か。
高崎駅は改札内に切符売り場がある。みどりの窓口では無いが、ジパング倶楽部の割引切符を購入することができた。外のみどりの窓口が混むため、改札内は切符売り場と改称したのだらう。
改札内の「銘品館」で、180ml瓶の本醸造「赤城山」を買った。この酒はお薦めである。税込み275円で高くない。昔の二級、一級、特級の感覚が今でもあって、特級酒は230円だった。230円と消費税と時間経過の値上がりを考へれば、価格満足度が高い。
観光地で高い酒を買ってはいけない。高いには高いなりの酒蔵努力があるが、観光地では努力以上の値段を付け、これは酒蔵にとってもよくない。
列車入線のとき、操車担当は機関車前面の床板に乗ってゐた。今まで、掴まり棒の下にある階段に乗るのかと思ってゐた。
高崎駅の中線(上りホームと下りホームの間)は、南端に枕木を車止めにし、その先の上り線と下り線への分岐器は撤去されてゐた。1976年頃、中線をDD13が北側へ走り、一分くらい後に別のDD13がまた北側へ走った光景が印象に残る。あと、上野発高崎行きの客車列車から機関車を切り離し、客車はそのまま長野行(だと思ふ。或いは篠ノ井行か)になったことも記憶に残る。
発車ベルが鳴り終はったあと、数分間停車したままだったが、汽笛一声無事発車した。渋川駅は停車時間が長い。これから上り勾配なので点検ださうだ。機関車は短時間で終へ、高崎駅の遅延について扉三ヶ所が閉まらなかったのは押さへたのではないかと話してゐた。

走行中の煙(ダブルクリックで大きな写真) 水上駅到着し機関車切り離し後 転車台へ入る
遠路まで好きな客車に煙雲が累々とする列車の旅は
「え、す、え、る、列車」を句の先頭に付けた。
沿線に手を振る人を多く見て 地域観光牽引の蒸気機関車汽笛と共に
反歌
沿線に今も人気の機関車は遠方からも多く人来る
関西からの若者グループがゐた。西洋系のグループもゐた。売店車へ行く時、一人が立って通りにくかったので「Excuse me」のあと、何処から来たか尋ねたらイギリスだった。ロンドンへ行った時に「トゥデイをトゥダイと発音してゐた」と言ったら、オーストラリアへ寄ってから日本へ来たとのことだった。
利根川に沿ひ駆け上がる汽車の旅 煙と蒸気沿線の歓迎姿車内は熱気
反歌
群馬県SLのみの経済は無論冗談繊維とすばる
水上駅に到着後に、機関車を解放するときは、操車担当が助役と思はれる方に、ブレーキ管の外し方などを説明してゐた。今や、機関車の連結と解放は首都圏では、尾久、高崎、水上のみかも知れない。(11.07追記)宇都宮貨物ターミナル駅常備の保線用砂利運搬貨車十八両は、JR貨物に委託か不明。
転車台を操作する人は機関区のやうだ。操車担当は転車台に乗ったままだった。そのあと、機留線(正式名が不明なので仮称)へ入れた。ここは駅構内だが、機関士と機関区職員が、油差し、灰除去、石炭撹拌を行なった。

転車後 機留線へ 機留線で注油作業

機留線で石炭撹拌作業 旧水上機関区(現、乗務員休憩所の標識が道路側にある) 線路と道路の中間の入口脇
水上機関区は検索すると、昭和六年開設、昭和六十一年に廃止し長岡運転所水上派出所になる。その後の記述が無く、長岡運転所を検索すると昨年廃止になり、派出所については記述が無い。
蒸気機関車は、機留線で作業があるし、帰りの列車に機関車を連結するときは、機関区と思はれる二人がジャンパ線の接続を行った。折り返し電車用に高崎機関区の派出があるか、或いはSL運転時のみ臨時で出張するのだらう。
急いで水上駅へ戻り、帰りのSLぐんまの指定席券を購入した。指定席券売機では、ジパング割り引きが使へない。しかし改札窓口へ云ふと、購入できる。水上駅は、親切な駅だ。
水上は小さないで湯 中ほどのホテル幾つかわずか見え 小さな旅館会ふことが無し
反歌
いで湯より電車終点上州の最北の町北五往復
水上から北側は一日五往復。ずいぶん減った。
帰りは、機留線から北側引き上げ線までは操車担当の旗、そこから南側引き上げ線までは構内信号機、そこから客車の前方10mまでは構内信号機(だと思ふ。誘導信号機かも知れない)で、停止目標は操車担当が白い旗で指示した。停止後は、通常の赤と青の旗を使用した。
帰りも、発車時の衝撃は無かった。沿線は、往路も復路も、手を振る人が大勢ゐた。
四人掛け今は狭いか体格が大きくなりて 十四系特急車両復活望む
反歌
十四系近頃見ぬが消滅か座席車及び寝台車あり
調べると、釧路に四両が改造車でSL冬の湿原号、宮原操車場にグリーン車改造の七両でサロンカーなにわ用。新倉敷からの帰りに窓の下に見えたのは十二系ではなくサロンカーなにわだった。
売店車 日本食堂NRE 今はJR東日本クロスステーション第三世代
反歌
食堂車特急富士とはやぶさと北斗星にて利用を想ふ
売店車で、昔は食堂車が鉄道弘済会か日本食堂だったと販売員に云ふと、日本食堂がNREを経て今の会社になったと云ふ。北戸田にJR東日本クロスステーションがあるのでこれだらうと思ひ「へぇぇ、クロスステーションですか」と相槌を打った。帰宅後に調べると、日本食堂はJR各社に分割され、JR東はNRE。その後、JR東日本フーズを経て、JR東日本クロスステーションになった。JダイナーはJR東海に分社された会社と云ふことも、初めて知った。
(追記11.06)売店車のレシートが出て来た。JR東日本サービスクリエーションの籠原GACとある。最下行には「SLレトロぐんま水上」と書いてある。インターネットで会社を調べると、
2019年(平成31年)4月1日
株式会社日本レストランエンタプライズ(現 株式会社JR東日本クロスステーション)の100%子会社として設立
2019年(令和元年)7月1日
東日本旅客鉄道株式会社の100%子会社となり営業開始
とある。子会社の統廃合を多発してはいけない。会社意識が生れない。尤も本業が鉄道だから、子会社は被支配意識を持たないで済む。
十一月五日(火)
これからもSL旅を続けるぞ 翌日朝は腰痛くこれで終はりにしようとも 横川及び桐生が残る
反歌
水上は機関区跡の転車台建屋と機留皆が喜ぶ
水上駅の温かい対応(ジパング取り扱ひ、転車台広場で駅長さんとも転車台とトラバーサの話をした。あの時点では駅が転車台を扱ふと思ってゐたので、少し話が合はなかったが)に感激し
みなもとの流れ静かに川上を見つつ橋超え駅遠ざかる
「み、な、か、み、駅」を句の先頭に付けた。利根川の小さな流れを越すと、温泉街だ。(終)
(11.06追記)今までは、一つのの旅行でジパング倶楽部を一回使用したが、今回は13で乗車券を購入し、14から17で指定席券を購入した。

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