二千五百二十七(うた)行動日記(母の骨折その五)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十月二十七日(日)
(その四)から続く
関節が固まるのは、予想外に恐ろしい現象である。医療関係会社のホームページによると
ケガや病気などで関節を動かす機会が減少した時に、関節が硬くなりその結果関節の動きが制限された状態のことです。具体的には筋、腱、関節包(関節を覆っている膜)、皮膚などが縮み、そこにコラーゲン線維が絡みつくことにより伸びなくなります。

リハビリの期間は、AIによる概要によると
軽度の拘縮:数週間から数ヶ月で改善することが多いです
中等度の拘縮:数ヶ月から半年以上かかることが一般的です
重度の拘縮:数年単位でのリハビリテーションが必要であり、完全な回復が難しいことがあります

早くよくなるやうに、先週は月火水金と通院した。木曜は休診、土曜はデイサービスから帰宅後なので間に合はない。先週金曜は、九十二歳でリハビリと評判になり、通院患者さんたちが見に来たさうだ。
今からはむ(六)そ(十)年前に祖母倒れこの現象が起きたのか ずっと寝たきり関節が固まりつひに起きることなし

反歌  当時では長生きのうちリハビリが未発達故寝たきりとなる
脳梗塞の後遺症だと思ってきた。関節が固まったとは六十年間知らなかった。近くの按摩士が毎日着て関節を動かしたので、関節が固まることは知られてゐたのだらう。

十月二十九日(火)
昼過ぎは雨になるとの報(しら)せあり 母通へるか気に掛かる 出来るか否か窓の外見る

反歌  寒くなる風強くしてなほ寒くまだ十の月昔長月
旧暦は長月。結局午後は雨で、通院できなかった。これまで毎週三日づつで、先週だけ四日だった。今週は三日になる予定だ。

十一月一日(金)
その三日目。整形外科で、母は完治したと云はれた、パチパチパチ。今週の始めあたりから、関節が痛いと云ふので医師に伝へたが、高齢による軟骨のすり減りだった。これで一安心だ。とは云へ、妻が云ふには母の足が細くなった。自分で立って歩くことがここ一週間以上ある一方で、食事などで立って移動させるときは、体を持ち上げないと立てなくなった。
母の足完治と云はれ喜ぶも 膝関節は軟骨が摩耗で痛く 筋肉も衰へたのか立つことが 骨折前より困難になる

反歌  一人にて歩き玄関お手洗ひ自ら立つはときどき出来る
反歌  骨折後多くの人が歩けずに母の場合は皆が驚く(終)

追記十一月二日(土)
母が自分で立てる理由が分かった。お辞儀をするやうに前かがみになると、自分で立てる。これまで食事のときやデイサービスへ行くときは、頭を上げたまま両脇を抱へて立たせた。すると足に力が加はり痛い。
自分から立つとき工夫をする故に一人で立てる 周りから云はれ支へて立つときは掛け声だけで力を入れず

反歌  掛け声は一二三と元気だが両手両足力を入れず
支へて立つときは、足が数秒だが痛くなるので、母にも手足に力を入れて貰はうと、一二三と掛け声を掛ける。三で立ち上がるのだが、掛け声だけで「お婆ちゃん、声だけで力を入れてゐないではないか」が続いた。(次へ)

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