二千五百二十六(うた)中板橋でミャンマー経典学習会外伝
甲辰(西洋未開人歴2024)年
十月二十六日(土)
中板橋へ行くのは四年九ヶ月ぶりだ。前回までは定年後の再雇用期間中だったので、定期券の関係で池袋から東武東上線で行った。今回は、赤羽からバスで仲町まで乗った。
バス停からお寺は近いが、バス停から踏切迄行ったあと、中板橋の駅前通りに出て駅方向へ歩き、駅前を折り返して、途中で新しいマンション二つを横目で見ながらお寺に着いた。駅前通りを反対側へ行けばよかった。帰りも間違へた。一本行き過ぎて豊島病院通りを戻った。家に帰り調べて更に驚くことは、バス停を左折すればすぐ駅前通りだ。往復とも、五角形の四辺を歩いてしまった。
ミャンマーのお寺は鶴見時代には菊名千川直通で 浦和時代は池袋東上線に乗り替へる 再雇用後は今回が初めて赤羽バスで仲町

反歌  仲町を降りてミャンマーお寺へは初めてにして往復迷ふ
始まる前の雑談の内容から、ここへ来る日本人はパオ森林僧院に参加する人が多く、その支院のあるインドネシアや台湾へ行ったことのある人もゐる。それと並行してスリランカへ行った人もゐる。
タイと関係しないのは不思議だ。「戒律のタイ」「瞑想のミャンマー」と云はれるので、タイとは関係が低いのかも知れない。前に、タイのタンガマイ寺院に熱中した人が来た。小生がワットパクナムに言及すると、両方とも同じだと云ふ。その後来なくなったのは、タイのタンマガイに行ったのかも知れない。
小生は、文化と仏法の関係に興味がある。だから在日外国人の建てたお寺は貴重だ。八王子のタイ寺院も貴重だが、遠いので行くのが困難だ。漏電で火災に遭ったが、建て直したことだらう。
仏法は文化の一部 だが下位に非ず仏法無き文化興味が低く 仏法と文化は対等二つで一つ

反歌  秋津洲維新で神仏分離して僧侶妻帯復旧急務
現在の僧侶の生活を守るために、準僧侶または社僧と名乗ればよい。社僧なら神社も兼ねるから、神仏習合も復活する。
本日は、世話人の方が来られず、元世話人がまとめられた。この方から、坐禅にも参加するのですか、と訊かれた。それは鶴見に住んだときで、浦和に引っ越してからは参加してゐない、と答へた。小生は、南伝と達磨大師の元を遡ると初期仏法に到るのでは、と主張するから、曹洞宗の坐禅に参加すると思はれたやうだ。
達磨大師とは、唐の影響を受ける前の不立文字の時代だ。曹洞宗とは異なる。
南伝と達磨大師を遡り初期仏法へ至るとの考へにつき 曹洞宗唐の変化でこれは別物

反歌  道元に良寛和尚傾倒は若き時にて老後は異なる
反歌  南伝と良寛和尚遡り初期仏法へ到るを思ふ(終)
(11.01追記)仏法と文化に興味があると書いたが、今は南伝と良寛和尚の双方から初期仏法を探すことに興味を持つやうになった。昨年の一月仕事の帰りにミャンマー料理店へ寄ったところ工事中だった。これ以降ミャンマー文化とは縁遠くなった。その前年三月に和光のお寺に参拝したのが最後で、それから十ヶ月は余韻が残った。
とは云へ、別の角度から見るのはよいことだ。今後は、南伝と良寛和尚から初期仏法を探したい。昨日までは、南伝と達磨大師だったが、曹洞宗や臨済宗とは無関係なので、達磨大師を良寛和尚に変更した。

「良寛和尚と漢詩和歌、初期仏法を尋ねる」(百十一の一) 「良寛和尚と漢詩和歌、初期仏法を尋ねる」(百十三)

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