二千四百八十七(うた)地元の話題(南浦和二題、五十年前のマンション)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
九月二十日(金)
南浦和駅と浦和電車区(今は別の名称だが私企業内の話なので使用しない)で、二つ変化があった。
まづ、南浦和駅の信号扱い所は、ATOS(旧CTCやPRC。全駅の分岐器と信号を集中制御する)が導入されてから、使用してゐないと思ふ。とは云へ長い間、ブラインドは陽が当る時は閉めて、それ以外は半開きにしてゐた。南浦和駅のみどりの窓口が無くなり、売店が拡大された辺りから、ブラインドは閉めたままになった。
想像するに、駅の休憩室が無くなったので、信号所を休憩室にしたのではないか。その信号所の周りに本日、足場が組まれた。おそらく解体して新築するのだと思ふ。(11.08追記、本日足場が撤去された。単に建物の壁を塗っただけらしい。或いは壁改築か。)
二つ目は浦和電車区の話題で、京浜東北線は10両編成だが、両端の二両を外した八両を交番検査庫の東側の留置線に止めるやうになった。二週間ほどするとゐなくなり、また新しい車両が入る。運転台にワンマン用の装置を付ける為だと思ふが、台車検査庫で行ふと思ふものの確証は無かった。本日昼、先頭車に車両移動機を連結した状態で、台車検査庫の入口に停車してゐた。これで、台車検査庫で改造してゐることは確実になった。
尤も前に、台車検査を浦和電車区で四十年ぶりに再開するのか、と注目したことがあり、その後に改造が始まったから、ここで作業することは、よく考へれば分かりさうなものだ。
通勤時窓から外の電車区と 蕨の保線川口の鉄橋手前の保線眺める
反歌
保線には作業車年に二回ほど数週間で断続留置
九月二十四日(火)
マンション管理の雑誌に、近くの二棟から成る分譲マンションの管理組合が載った。一号棟は昭和四十七年、二号棟は昭和四十九年。我が家が引っ越したときに、既に二つともあったと思ってきたが、二号棟を後から建てたことは知らなかった。
管理組合の役員は二十二名で、各階から一名づつ。最初は全部自分たちで行ったが、後に一部委託になった。高齢化が進み、八十歳になったら役員は辞退させてほしいと云はれたり、役員の中から所有者が五人ほど変はるので、全面委託を検討してゐるとのことだった。
マンションは昭和の御世の五十年 中規模ものが現れて管理会社へ一部委託へ
反歌
マンションは歴史が浅く問題が連なり出でてこれより後も
今問題になり出したのが、高層マンション。修繕積立金、下の階は重量を支へる鉄骨が多い、軽量化の為に隣室上下階からの騒音、エレベータが止まったらどうするか。上層階が節税に使はれる問題は、最近改善された。
九月二十五日(水)
信金へ行く途中、昨日の分譲マンションを横目に見ると、国道沿ひに低層の建物がある。かつては一階にスーパーがあった。思ひ出すと、我が家が引っ越したときはスーパーが無かった。だから、近くの商店が五つくらい入った一棟と、少し離れたマルエツへ行った。
大きい建物二つ合はせて二十二階だ。低層の建物は、管理組合が別なのだらう。
いそ年を過ぎた後にも新しく分かることあり家の近くも
更に新しいことが分かった。地図を調べると、一号棟だと思ってきたものが二号棟、二号棟だと思った中規模の建物が三号棟、三号棟だと思ったものが一号棟だった。(終)
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