黄檗僧の石碑と像(ダブルクリックで拡大) 説明板
墓地の中に徳川家墓地の一つの赤門が残るので、それを見た。古い建物が点在するのは、増上寺に似る。徳川の没落とともに、特に徳川家墓地の没落とともに、飛び地になった。
黄檗の僧も顕彰石碑あり尊き行為宗派を超えて
上野駅公園口で、みどりの窓口の場所を訊いた。中央改札にしか無いことは既に調べた。坂を下まで降りて左折すれば行けることは分かってゐる。もっと近道があるのでは、と訊いた。説明の後、坂は下まで降りるのか訊くと、さうだと云ふ。云はれた道を少し行くと、線路を渡る陸橋を見つけた。小生が知らないのは、昔は無かった。これは坂を下まで降りてはゐない。上野駅は嘘を教へてはいけない。
橋(パンダ橋と云ふらしい)を渡り、改札でみどりの窓口を訊くと、エレベータで舌に降りるのだと云ふ。云はれたとほり下に降りたが、そこから先が分からない。かつての、東北上信越北陸方面の列車が発着したころと異なり、一階の出入り口が無くなったことを知った。一階へ降りた後、再び二階へ上がり、やっとみどりの窓口へたどり着いた。パンダ橋の開札も、説明が不十分だ。エレベータで降りた後を云はないからだ。
次の一泊旅行の切符を購入の後、上野動物園へ再びぐるっと回った。今日は仕事帰りではなく、朝から出掛けたので中旅行だ。そこで、先程買った日本酒一合を飲み弁当を食べた。これが疲れの原因になった。体が重くなったが、東園から西園へ行く途中に、中国へ戻るパンダの年表が掲示され、興味深く読んだ。
子を幾度産み育てるの親パンダ 健康不安現れて帰国報道されたのち パンダの森は二時間待ちに
反歌
リーリーとシンシンともに中国へ健康不安乗り越える為
パンダ入口は三ヶ所が二ヶ所に減り、一方は一時間、もう一方は二時間待ちだ。小生は何回か観たので、まだ観てゐない人たちに譲り、子供動物園を観て回った。不忍池を橋で渡らうとしたら、行き止まりと書いてある。さう云ふことは手前に書くべきだ。橋のたもとに書いても、困惑するばかりだ。
一旦、弁天門から出た。弁天堂からボート乗り場前を過ぎて、ベンチで休んだ。酒を一合飲んだだけなのに体が重くなった。池之端門から再び入り、西園を少し観たあと弁天門から出て、京成乗り場から地下鉄方面へ地下道を通って、中央改札から入った。地下鉄方面への地下道は、何年も前に歩いたことはあるが、今年になって初めてだ。
今週は敬老週間で、六十五歳以上ともう一人は入場無料だ。だから年間パスポートではなく、マイナカードを見せて入場した。園内は、六十五歳以上が多い印象は持たなかった。
お年寄り敬ふ週に 動物園無料で入り我が歳が リーリー並みに高まるを知る
反歌
暑き日の次に涼しき日が来ると体が重くリーリー並みに
昨日は、ボランティアによる説明が三つあったが、本日は無い。しかし昨日は暑いのと、母の昼食があるため、本日にした。暑くなくてよかった。(終)
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