二千四百六十五(朗詠のうた)八月の変化(観た動画、作った特集数)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
八月三十一日(土)
今月は観た動画が、ベトナム、カンボジア、ラオスと続いたが、本日は突然、ブルガリアと三国志に変化した。これは、四年前にコロナ騒ぎで中断したミャンマー経典学習会が、再開されることになった。そのため東南アジアの関心が、ベトナム、カンボジア、ラオスの三国からミャンマーへ戻るかも知れない。三国と三国志は偶然の一致だが、深層心理では分からない。
前に、どうする家康を観なくなった理由を第十一回から第十三回まで書いた。それとは別に、第十回は時代考証の雑なことを指摘したが、当時もLGBT問題がくすぶってゐたため、さう云ふ政治問題で視聴者に特定意見を押し付けてはいけないと云ふ深層意識があったのかな、とその後に思ふやうになった。
秋津洲旅の券(てがた)が優れるは 国の誇りでこの心失ふことは国が滅びる
反歌
秋津洲皆ともに持つ国誇り取り戻すにはよき話にて
四年間で、良寛和尚に関心を持つやうになった。すると自動的に、曹洞宗や達磨大師へも関心を持つやうになった。達磨大師が中国へ伝へたものは、原始仏法ではなかったか。そんな仮説も提示した。
これらがミャンマー経典学習会の再開で、どれくらい揺り動くかは自身も分からない。小生は思想を捨てることをしない。すべての思想は所持を続けるものの、周囲の環境によって表面に出てくる優先度が変化する。
唯一捨てたのは鎌倉時代の或る僧の教へで、戦前戦中までは鎌倉時代と似るから有益だった。しかし今では無益だ。そして更に大きい理由は、幼児餓死事件だった。
四つ年で大きく変はる我が心 緬(はる)か甸(おさ)める教へにて 揺り動かすの幅は幾程
反歌
緬(はる)かなる甸(おさ)める国の仏には長く続くの光り輝く
ミャンマーを漢字では緬甸。日本語では「めんでん」、中国語読みではミァンディァン。漢字では昔からミャンマーだった。
九月一日(日)
八月は作った特集が、十日の時点で十一個。二十日の時点で二十一個だった。このままだと三十一日に三十二個だ。かうなった理由は二十日までに、バス一日乗車券旅行四回と上野動物園一回、Viewカード紛失で探すのと手続きで一日とスマホの通信会社販売店へ二回、動画を七日。
動画はその後も観たが、一日の視聴時間は長くない。そして二十一日から普通に特集を作り始めたため、今月は三十七本だった。もし月初めからこの調子なら、四十三本は行っただらう。
そのやうな訳で、四十本以上は四ヶ月連続で途絶えた。しかし赤色(二十七本以上)は、十二本連続、つまり一年間続いた(月別表へ)。昨年九月から何が変化したのか調べたが、理由は分からない。
文を書く数が増え出しひと年が過ぎても訳が分からずに 歳取るにより衰へ斑(まだら)か
反歌
年の瀬に自ら漕ぐの車には乗らずを決めてこれは有るかも
とは云へ、三ヶ月の時間差がある。或いは車輪がパンクをする前から、乗る頻度が少なくなったことはある。(終)
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