二千四百四十五(朗詠のうた)最新の歌論(助詞「で」、テネシーワルツの訳詞、序詞)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
八月十六日(金)
助詞の「で」は使はないことを、これまで心掛けてきた。字数を合はせるため、使ってしまったことも何回かある。「で」がいけない理由を考へてみた。まづは良寛和尚の音韻論が頭に浮かんだ。しかしこれは分類に留まり、作歌にどう生かすか。
次に「で」の音が悪いのではと考へた。「電気」「伝達」など漢語に多い。それでは「筆」はどうか。和語だが「で」が入る。次に、先頭の「で」が悪いのではないかと考へた。調べると、濁音で始まる和語は奈良時代までは無かった。その後少しづつ現れ、元の清音形を強調したり悪い意味にしたと云ふ。
助詞の「で」は体言に付くから、語尾とも考へられる。話す時はさうだが、歌は違ふ。
での音は初めに来ると調べが悪し 助けるの詞にでの音調べが悪し
八月十七日(土)
テネシーワルツの訳詞のうち「去りにし夢」「なつかし愛の歌」「面影忍んで今宵も歌(うと)ふ」「思ひ出なつかし」「今宵も流れ来る」「今はいずこ」「呼べど帰らない」は優れるとした。
このうち「去りにし夢」「なつかし愛の歌」は文語的、「面影忍んで今宵も歌(うと)ふ」「思ひ出なつかし」は、面影、忍んで、今宵、思ひ出、なつかしと美しい語が並ぶ。「今はいずこ」「呼べど帰らない」は内容が優れる。
小生が歌を作る時の美感覚と、同一なので紹介した。
歌を詠むいつ入れるのか美しさ 昔の詞美しき詞と中味三つを示す
反歌
ななそ(七十)年前まで残る美しさ昔と詞中味が示す
八月十八日(日)
定型の歌は美しいが、破調は聞き辛い。枕詞は美しい。だから定型しか作らないし、枕詞をときどき使ふ。それに対し序詞は、同音の美しさは感じるものの、比喩の美しさは感じない。だから作る機会がない。
そして二番目に、掛詞が好きではなく掛詞型の序詞を作らないことが、使用機会を激減させるのかも知れない。
美しさ見出すことが或る技をこなすこつにて 序(はしがき)の詞につきてそれを能はず
反歌
序(はしがき)の詞につきて美しさいずこに掛の詞のほかに
古代和歌史研究6「萬葉集の表現と方法 下」伊藤博によると
万葉集においては、六首に一首程度序歌がある(中略)古今集一一〇〇首のうち序歌は約一二〇を数え、八首に一首の割となる。
萬葉集七百四首の序歌について
大部分が作者未詳歌に集中し、(中略)とくに著名歌人の歌にはきわめて少ない(以下略)
これについて
序歌方式は、反面、類型的な表現方式だという宿命を持つ。
類型ではなく新作で序詞を使ふことは、難しかった。(終)
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