桜木橋の碑 千川開渠跡
上野駅から動物園表門へ行く途中に、大道芸で独奏する人がゐた。曲はテネシーワルツだとすぐ分かった。五年程前だらうか、この曲が突然頭に浮かび、戦前の日本歌謡曲だと思った。蘇州夜曲や李香蘭、山口 淑子で検索しても分からなかった。
テネシーワルツだとすぐ分かるのに、今まで分からなかった理由はヨナ抜きの音階なので、日本の歌謡曲だと思った。だから頭の中でリズムを単純にし、気付かなかった。大道芸は、リズムが原型なので、すぐ分かった。こんなこともあるのか、歳のせいかな。
帰宅後にパティ・ペイジのテネシーワルツを聴いた。「to」を「チュー」、「Tenessee」をチェネシーと発音する。次に、江利チエミと伊東ゆかりも聴いた。日本人は日本語の歌詞がよい。「去りにし夢」「なつかし愛の歌」「面影忍んで今宵も歌(うと)ふ」「思ひ出なつかし」「今宵も流れ来る」「今はいずこ」「呼べど帰らない」が優れる。しかし「あのテネシーワルツ」はこれでよいのか、「the Tenessee Waltz」の訳だが。
それより、江利と伊東の英語は聴き取れない所がある。パティ・ペイジは聴き取れるから、日本人は日本語で歌ふべきだ。他のアメリカ人の歌ふ動画も幾つか聴いた。皆Tenesseeはテネシーと発音する。
この曲が作られたのは1948年。アメリカが米ソ冷戦の一方になるほどまだ巨大化はしておらず、曲には良さが残る。
日本では戦争映画上映し 社会党など反米も高まりうまく平衡保つ
反歌
日本では米ソ冷戦終結後革新消滅欧米発狂
昭和五十年辺りまでは、朝のドラマ「おはなはん」の夫が軍人だったり、映画「八甲田山」が上映されたりした。社会党の非武装中立とは、アメリカに命令されて作ったものに反対し、アメリカの戦争に加担しないことを示したものだった。
欧米は、産業革命以後発狂し続けた。しかし米ソ冷戦終結後酷くなった、特に地球温暖化。(終)
(追記8.17)伊東の別の版を聴いたところ、英語は概ね聴き取れた。一方で、日本語の歌詞が変はり、良さが失はれた。しかし「あのテネシーワルツ」だけは歌詞に調和して悪くはなくなった。
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