二千四百十九(うた)千川上水
甲辰(西洋未開人歴2024)年
七月十六日(火)
上野動物園の中を千川上水が流れてゐた。今回は、上流から上野に至るまでを調べることにした。まづは北区滝野川6-9-1の千川上水分配堰碑である。北区のホームページに
今は暗渠(あんきょ)となっています。
江戸幕府が大砲工場を建設する際に、この堰から西巣鴨交差点の方向に分水路が通されました。明治時代になると分水路は、今の北区・荒川区・台東区内の23か村のかんがい用水、王子近辺の紡績工場・抄紙会社・大蔵省紙幣寮抄紙局(今の印刷局滝野川工場)の工業用水として利用されました。
北区が近代工業の発祥の地となったのも石神井川、千川上水の豊かな水があったからです。 碑は明治15年(1882)に水利権を明確にするため設置されたものです。

分水路とあるからは、本水路が気になる。
次に滝野川探索隊のホームページに、公益社団法人日本建築家協会城北地域会秋山さんの投稿が載る。小さな図面に、四つに分岐する様子が写るが、どれが本流と云ふことはないやうだ。
北区方面には、幕末期に大砲工場(現・滝野川2-6所在反射炉)を計画して巣鴨から分水し、明治期王子製紙や印刷局抄紙部などの産業用水に利用されていたのでありました。それが王子への分水です。

後半には
巣鴨堀割から上水路は木樋や竹樋で、白山や湯島聖堂そして根津の谷を木樋サイホンで渡し上野寛永寺まで通水したとのことです。その後上水道の役割は廃止されるなど経緯は変化します。明治期になり地図でも残っているように農業用水の役割であり、現在痕跡だけですが、王子への産業用水路だったのです。終点は北区王子の駅前公園(三角形の広場)で貯水池でありました。そこにたどり着くには石神井川を掛樋・水道橋で渡していたのでした。飛鳥山「紙の博物館」収蔵の資料でこのことは確認できます。

田端高台通りを流れれば「根津の谷を木樋サイホン」は不要と思ふが、或いは道灌山の切通しが昔からあり、ここを木樋サイホンだらうか。或いは、白山から木樋サイホンで根津の谷を横断したのだらうか。それだと400mくらいになる。
江戸時代電動ポンプ発動機無しで流すの苦労経て 羽村の水が上野へ届く

反歌  玉川の兄弟の墓下谷にて羽村の水はすぐ近くまで

七月ニ十日(土)
((上野動物園その十一)へ書いた内容を、二日後にここへ移動させた)
「上野動物園百年史」コラム欄に次の記述がある。
千川上水は、元禄9年(1696年)、上野東叡山寛永寺をはじめ、湯島聖堂、小石川白山御殿、浅草寺御殿など、徳川将軍家とかかわりの深いところに給水するために開設された。(中略)玉川上水から(中略)分水して、巣鴨村まてで、約22Kmを掘割で水を通し、(中略)小石川、本郷から、下谷、浅草にかけての、武家屋敷、社寺および町家にも給水した。

その後
享保7年(1722年)には、新井白石の進言や井戸の普及などもあって、この上水は廃止され、掘割の部分の水路沿いの農地への灌漑用水となった。

新井白石の進言は確か、水路が地下の命脈を破壊し火事の原因になると云ふものだった。江戸は海を埋め立てたため、井戸水は塩水だったが、このころは真水になったのだらう。
明治13年(1880年)、岩崎弥太郎によっておこされた千川上水株式会社によって、(中略)千川上水が復活し、本郷、下谷、浅草、小石川、神田の五区(括弧内略)に給水したが、改良水道の普及にともなって明治40年(1907年)には大部分が廃止され、再び掘割部分のみが灌漑用水などとして、形をとどめている。
上野動物園は、開園から明治34年(1901年)まで、この千川上水の水を使用していた。

千川の水にて生きる生き物は 徳川の世の香り持つ陸(おか)空水をまだ壊す前

反歌  西の洋気狂ひ人が陸壊し多く生き物滅びて滅ぶ

七月二十二日(月)
東京市史稿上水篇(大正八年)に載る「正徳末頃の上水図」によると、掘割から板橋で木樋になり駒込吉祥寺と本郷追分の中間辺りからサイフォンで根津谷を超える。上野動物園に水が流れるのは、千川水道になった後で、寛永寺の余水ではなく寛永寺跡で開催された内国勧業博覧会へ給水し、終了後は博物館になったがその余水だった。
田端高台通りを延々と伸ばすより、根津谷をサイフォンで超えるほうが、工事が容易だった。
高台を高さ保ちて流すには 距離長くなり工事費が嵩むを避けて 対岸に見える岡より筒にて流す

反歌  長き筒水のみ満たし降り登る水は先より流れを保つ(終)
(追記7.23)動物園で水質に問題があった記述があり生活汚水の流入を疑ったが、それは水質測定値により無いことが分かった。博覧会で使ふ水だから、対外的にきれいにする必要があったのだらう。雨の時に濁ったさうだ。

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