二千三百七十七(うた)(モリカケ桜河柳ジャニーズ藪黒敗トリー放債カルト裏、二百九十八)1.安倍派は幹部会議で、2.葛西問題
甲辰(西洋未開人歴2024)年
六月二十一日(金)
朝日新聞のホームページに
安倍派事務局長、法廷で幹部と食い違う説明 「会合で還流継続決定」
が載った。
自民党派閥「清和政策研究会」(安倍派)が政治資金パーティー収入の一部を裏金化したとされる事件で、(中略)同派事務局長(氏名略)の第2回公判が18日、東京地裁であり、(中略)派閥側から議員側への還流について(中略)「2022年8月の幹部会議で継続が決まった」と述べた。
これまでにあった政治倫理審査会や会見で、事務局長と同様の説明をしたのは安倍派座長だった塩谷立・元文部科学相のみ。下村博文・元文科相、西村康稔・前経済産業相、世耕弘成・前党参院幹事長の3議員は「8月の会議では結論が出なかった」などと答えており、説明の食い違いが改めて浮き彫りになった。
暗部会議、ではなかった幹部会議には、五人醜を含め参加したことだらう。空処分で誤魔化した萩生田らへの再処分は必須だ。
朝日新聞の記事は合格だが、駄目なのがNHK言語障害集団だ。ホームページ見出しは
安倍派会計責任者 キックバック “ある幹部が再開求めた”
会議では、発案者が重要ではなく、賛成したかどうかだ。
自民党安倍派の政治資金パーティーをめぐり、(中略)会計責任者の裁判で被告人質問が行われ、一度は中止の方針が示されたキックバックが続けられた経緯について、会計責任者は「ある幹部から求められた」と述べました。
ここで「還流(キックバック)」ならまだしも、「キックバック」は売国奴だ。この語が日本語で通用すると思ってしまったらしい。【NHK批判は、次のうた(九百十八)でも使用】
清和会流れに還れ保守の派へ安倍の負債を戻すとともに
「流れに還れ」が掛詞。
六月二十二日(土)
朝日新聞ホームページは別の記事で
「あの人にやられた」反省なき5人衆が象徴する自民の無責任体質
も載った。
「今回の問題がなかったら自民党総裁選は大チャンスだった。残念だ」。5月中旬のある夜、兵庫県明石市の飲食店。前経済産業相の西村康稔は、親しい同市議らに悔しさを隠さなかった。「あの人にやられた」
あの人とは、党幹事長、茂木敏充のこと。
有料記事なので後半は読めないが、萩生田が空処分だったのは、岸田を追ひ落とす茂木の作戦とも取れる。支持率を激減させるための。
岸田の芽もぎ取る感じ悪い諜空処分にて相殺ならず
「もぎ」「感じ、諜」「相殺」が掛詞。
六月二十三日(日)
現代ビジネスのホームページに
JR東日本にも運輸省にもナイショで…品川に「新幹線駅」を作りたかった葛西敬之の(以下略)
が載った。
安倍元首相が国士と賞賛した葛西敬之が死の床についた。(中略)また、安倍を初めとする政治家たちと親交を深め、10年以上も中心となって日本を「事実上」動かしてきた。
「(中略)」の部分には、葛西が日本のインフラに貢献とあるが、この部分は不同意である。そもそも葛西は、それまで国民から国鉄内で最も嫌はれた動労革マルと組んだ。どこが国士なのか。国賊の間違ひではないのか。だいたい「モリカケ桜河柳ジャニーズ藪黒敗トリー放債カルト裏」に褒められたのでは、事実と逆だと気付かなくてはいけない。運輸官僚の発言で
国鉄清算事業団の解散と同じ頃(中略)朝日新聞朝刊に『JR東海 品川に新駅建設』という記事が掲載されました。(中略)しかし、われわれ運輸当局はまったく関知していませんし(中略)葛西サイドから出ている話としか思えませんでした。そもそもJR東海には、(中略)駅をつくるための土地なんか持っていない。品川駅周辺では、東の用地と清算事業団の遊休地、それから自治体の土地が一部あるだけ。(中略)普通なら清算事業団や東、自治体に根回ししてから初めて計画をオープンにするものだけれど、唐突に新聞に出ているわけです。それこそ、流れをつくってしまおうという発想の葛西流なんでしょう。
ずいぶん強引なやり方だ。品川問題では、JR東とJR東海の仲がかなり悪化した。葛西が、JR東の役員室へ受付を通さず勝手に入って来る。別の会社なのに、とJR東の社長が怒った話が二ヶ月くらい前に載った。
或いはJR東海が、JR東日本が少ししか土地を提供しないため折返し線など作れなかった、品川の地価が上がりJR東は儲かったのだからいいではないか、とうらめしさうな発言を半年ほど前に読んだ。
航空券往復割引廃止にて新幹線に大きく負ける
1995年頃までは、東京から大阪まで往復割引を使ふと、航空機のほうが安かった。年まで覚えてゐる理由は、新大阪駅前のコンピュータ会社にパソコンネットワークの件で出張した。空港までのバス代を含めても航空機のほうが安い。小生は経費を節約できたことに自慢顔だったが、新大阪駅前だから新幹線で行けばいいではないか、と注意されなるほどと思った。
その後、航空券の往復割引は廃止され、購入が何日前かによる割引に変はった。それまでは当日でも往復割引を購入できた。それ以来、小生は四十年間で、航空機を使った国内旅行は、北海道と奄美(沖永良部島から奄美大島まで片道のみ)の、一往復一片道だけになった。
あと、新幹線が最高速度を上げたことも大きい。現代ビジネスの記事では、新幹線の品川駅開業で旅客数が大きく伸びたと書いてあるので、違ふことを示した。
六月二十四日(月)
新幹線の品川駅構想は、葛西が考へたものではない。ITmediaビジネスによると
東海道新幹線の輸送力を上げるため、国鉄は品川に新幹線の駅をつくる構想を持っていたという。当時、品川駅には新幹線の車両基地もあった(以下略)
しかし、国鉄時代の品川駅構想は一旦白紙に戻る。(中略)貨物駅や車両基地の土地を国鉄清算事業団に譲渡すると決まったからだ。
その後、
JRグループが発足して3年後の1990年5月24日、JR東海は品川駅構想の再起動を表明した。翌日の読売新聞朝刊によると、東京駅折り返しのままだと1時間当たり下り10本のダイヤが限界であり、品川駅設置によって同15本の運行が見込めるという。
同日の朝日新聞夕刊によると、新幹線通勤者が増えていることを受けて、東京〜静岡、東京〜三島をノンストップで結ぶ「通勤こだま」を朝夕に走らせたい、と報じていた。当時は1時間当たり下りひかり8本、こだま4本が最高だったというから、読売とは認識にズレがある。
JR東海の品川駅構想は、新幹線通勤者対策だった。
1996年8月31日の朝日新聞夕刊で、JR東日本顧問となっていた住田氏がエピソードを披露している。
(前略)葛西さんが突然、当社の役員大部屋(中略)私の席に来たから「おい、よその会社の社長に面会するときは受付を通すなりしろよ」と、退室してもらいました。(中略)健全な競争意識と、自分さえよければというのは違います。新幹線の増発を狙う東海は一九九〇年、新品川駅構想を勝手にぶち上げた。(中略)、すべては当時常務から副社長になった葛西さんの知恵でしょう。
この件は
結局、運輸省の(中略)仲介で、JR東海社長の須田寛氏、JR東日本の住田正二氏が会談し、須田社長の謝罪とJR東海の当初案撤回で決着した。中日新聞1992年5月11日朝刊によると、JR東日本としては、いつまでも固辞していると分割民営化の批判が高まり、運輸省との関係も悪化すると考えたようだ。
つまり、品川駅案を考へたのは国鉄、ぶち壊したのが葛西、まとめたのが須田さんだった。安倍の云ふ国士とはほど遠い。葛西が動労と組んで以来、日本国内から倫理観が崩壊した。安倍のお友だち依怙贔屓はその流れだ。それを考へれば、国死だった。(終)
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