二千三百七十四(朗詠のうた)行動日記(赤羽乗り換へ、眼科、台所の排水口)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
六月十七日(月)
埼京線に乗ることがほとんど無くなった。一つは混むため、沿線の仕事はやらなくなった。それは去年も同じだが、赤羽駅からバスで行ける範囲は引き受けて来た。環七や環八を走るバスがあるので、練馬区までは守備範囲だった。昨年、帰路に事故渋滞があり、往路だったら遅刻だと、それから引き受けなくなった。
今月は四回、埼京線を使ふ場所へ行く。赤羽乗り換へを避けて、武蔵浦和で乗り替へた。すると、京浜東北線との違ひがよくわかった。京浜東北線は、蕨や川口など、途中でも降りる人が少しはある。埼京線は乗る一方だ。赤羽駅で、京浜東北線は降りる人と乗る人がほぼ同数だ。埼京線は乗る人の方が多い。
今までは赤羽で乗り替へたので、そのことに気付かなかった。と云ふより、乗る人数は列に並ぶから分かる。降りる人の数から、乗る方が多いところまでは気付くが、記憶に残らなかった。
赤羽は かつて折返し多い駅 今少ないは家マンション川口や戸田さいたまに増えて埼玉高速の鉄道が出来バスで来る人が減る度乗る人も減る

反歌  赤羽は京浜東北埼京の二つでともに折返し減る

六月十九日(水)
右の眼がぼやけるやうになった。眼科で診てもらひ、白内障と緑内障と分かった。尤も緑内障は左の目が悪く、右の目はそれほどではない。左の目は自覚症状か無いから、それほどではないことを祈りたい。緑内障の薬を、昨日から点眼することになった。
ニュースで、高齢者を六十五歳から七十歳へ引き上げる提言があったさうだ。小生も少し前までなら、この案に賛成だった。しかし今は、六十八歳かな。
六(む)十(そ)歳(とせ)を過ぎてあちこち少しづづ衰え続き 六(む)十(そ)歳と八つに至り 眼の病お年寄りへと仲間入りする

反歌  お仲入り寄席の掛け声歳取るとお仲間入りの声と聴こえる

六月二十日(木)
四年程前だらうか、台所の排水が悪くなり、薬品を流し込んだ。すると、ゴォーと音を立てて水が排水口に吸い込まれるやうになった。その後、水の流れが悪くなり薬品を流し込むことを繰り返し、一昨日に至った。もはや音を立てることは無くなった。きっと排水管が古くなったせいだらうと思った。
ところが昨日薬品を使ふと、音が復活した。なるほど流れがかなり悪くなってから薬品を使ふのではなく、少し悪くなった時に使へば復活するのかと分かった。
台所水の流れが悪いとき薬使ふも 音を立て流れる事は戻らずに幾とせを経て 昨日にはそれほど悪くない時に使ひ音立て戻り喜ぶ

反歌  台所古くなるとも音立てて流れ戻りて昔を保つ
昔とは、五十年前であった。(終)

行動日記(百二)へ 行動日記(百四)へ

メニューへ戻る うた(九百十三)へ うた(九百十五)へ