二千三百六十九(朗詠のうた)マスコミの横暴を許すな
甲辰(西洋未開人歴2024)年
六月九日(日)
本日のNHK短歌は最悪だった。司会が、別の番組でも司会をすることになったと云った。これでは公私混同だ。万智さんの選歌も最悪だった。あれでは三十一文字版の川柳だ。
万智さんは 一回目では良かったが二回目からは悪くなり 司会がそれに拍車を掛ける
反歌
番組が悪きは制作演出も上のほうまで飛び火が燃える
六月十一日(火)
一昨日の「光る君へ」は、中国語の会話が多すぎる。時間稼ぎにしか見えない。大河ドラマは、一年間続くのが難点だ。無理に引き延ばすから、かう云ふことになる。
そもそもあのまひろのやり取りは、漢文を既に知る人間ではない。
日本語と中国語とを漢字にて結ぶを無視は興味半減
六月十二日(水)
最近、通訳なしで話したと云ふ記事が多い。大谷翔平、麻生に始まり、愛子様、悠仁様と続く。このうち愛子様は皇后さまのご家庭内教育、悠仁様は紀子様のご家庭内教育が本題なので、大谷、麻生に絞ることにした。
まづ、英語で話すことが重要ではない。何を話したかだ。分かりやすい例を挙げると、岸田が日本語で話したことが重要ではない。何を話したかだ。それなのに大谷、麻生が英語で話したことを記事にする。これは英語植民地主義を増長することになる。英語は必要な人が話せばいい。不要な人が話すのは、時間が無駄だ。
植民地支配するには言葉にて劣等感を植え付ける 話せる人を優遇し見せつけるとのやり方もある
反歌
船橋の英語公用語馬鹿げるが朝日新聞のちに主筆へ
六月十四日(金)
尾崎世界観が、芥川賞候補に選ばれた報道があった。NHK短歌の司会である。芥川賞に選ばれたならともかく、候補に選ばれて何の意味がある。そもそも芥川賞とは、新人賞だ。決して有名小説家ではない。そんなものを報道するのは、出版社などの思惑か。
新人賞候補になる人が、なぜ短歌の司会をするのか。もっと年長者はゐないのか。尾崎世界観を調べるとロックバンドとある。日本文化の和歌と、欧米文化のロックでは発想が逆だ。NHK短歌は、多くの中高年愛好者を逃がしてゐる。
六月十五日(土)
報道に、加害者の発言は必要ない。よくあるのが自動車運転時殺人(世間ではひき逃げと呼ぶが、轢いてそのまま逃げたなら殺人だ)の加害者の「ぼんやりしてゐた」「物だと思った」だ。「人だと思った」なんて絶対に言はない。「物だと思った」は嘘に決まってゐる。嘘ではないとしても、加害者の発言は不要でだ。
被害者は発言できず加害者の嘘か分からぬ言葉は要らず(終)
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