二百三十一、皇太子妃様ご病気快癒の方法

平成二十四年
一月十五日(日)「年号制定」
皇太子妃様のご病気が長く、多くの国民が心配してゐる。ここにご快癒の方法がある。
まづ天皇様独自の仕事には政府が介入しない様にすべきだ。年号制定はその一つである。天皇様が皇室会議の意見も参考にして任意に決めてよいことにすべきだ。皇位の継承があつたら替へるといふのは、明治維新以後に薩長幕府が勝手に決めた制度である。
西暦との一の位の差を無くすことで元号の使用を促進することもできる。最近、書類の記入やコンピユータでの申し込みで西暦しか受け付けないことがある。これは不便だ。それを防ぐためにも明治維新以前に戻し、一方で西暦との差を少なくすべきだ。

一月十七日(火)「独自に収入を」
皇室財政に政府が責任を持つのは当然だが、独自に収入を得ることを認めるべきだ。得た収入は社会福祉に使ふ。江戸時代のやうに守、介などをその地位に相応しい人が希望すれば任命書を発行し喜捨を受け付ける。任命書を外部に見せびらかすことは禁止し家の内に秘蔵しても数百年や千年に亘る子孫の家宝とならう。人類が滅びなければの話だが。
江戸時代の宮中は財政が充分に豊かといふ訳ではなく、収入の方法を考へたはずだ。現代に於ても福祉に使ふために皇族方の収入努力の機会を作るべきだ。これで皇太子妃様もご快癒されよう。
無論新たな努力には民間に悪用されないやう事前に慎重な検討は必要である。

一月二十一日(土)「ご退位の自由」
明治維新以前に戻し、天皇様には自主的なご退位を認めるべきだ。もちろんその前に皇室会議などで意見を求めるべきだが、最終は天皇様にまかせるべきだ。
院号も明治維新以前に戻し復活すべきだ。院号は国民の戒名や寺院の名称にも用ゐられる。国民も親しみを感じるし、宗教性も感じる。

一月二十八日(土)「天皇様には伝統の装束で」
ほとんどの国民は今でも僧侶や神職には敬意を表するが、その理由は装束に因る。もし背広姿だつたら、まつたく異なつた対応をしよう。
天皇様も同じである。戦前に共産党が不敬な主張をしたのも、戦後にマスコミが開かれた皇室だとかを叫ぶのも、もし天皇様はじめ皇族方が伝統の装束だつたら避けられるに違ひない。(完)


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