二千二百九十七(和語のうた、普通の歌)地元の話題(旧家解体、桜散り始める、朝霞浄水場の土、安売りスーパー)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
四月九日(火)
小生の家の近くにある旧家は、本日から解体が始まった。門が撤去されたので中が見えて、平屋が二棟あることを始めて知った。ここは、門の斜め前に全面扉の無い小屋があり、農機具などが入れてあった。其処と賃貸駐車場は、一昨年だらうか宅地に細分しお揃ひの民家が六棟くらい建った。今流行りの統一された町である。
第二次世界大戦中に、日本の航空機どほしが接触し、墜落したのも同じ敷地だった。鳥居と祠と石碑があるが、今は小規模になり鳥居が無くなった。
(4.11追記)解体の進捗で中が見えるやうになり、二棟ではなく三棟だった。うち一棟の壁に、水車の車輪が掛けてある。直径1.5mくらいで落差式だ。
(4.13追記)母屋の解体が終ると左後方にもう一棟見えた。つまり四棟だった。
四月十日(水)
公園の桜は、満開の直後から散り始めた。昨日の朝は雨の為、土の上に濡れた花びらだった。午前中は強風で、帰宅時は大量の花びらが落ちた。
桜の木 花の命は短くも寂しさは無し その訳は枝に葉が出て末に広がる
反歌
雨の日に落ちた桜は雨と土寂しさあるは空暗き故
四月十一日(木)
昨日は、消防署裏の公園へ、母のひなたぼっこと散歩を兼ねて行った。介護保険の上限の関係で、月に一日程度の休日が発生する。小生の仕事が無い日を選ぶ。そして昼食後に公園へ連れて行った。
桜の木は三本だ。一本は散るのが早いのか、花が少ない。一本は公園の角にあるので枝を大量に切って、花が少ない。まともなのは一本だけだった。正面からひなたぼっこをすると眩しいので、まづ右側から日光を当てて、正面に桜が見えるやうにした。途中で場所を移動し、左側から当たって、正面に桜が見えるやうにした。椅子があり、押せる歩行器は便利だ。そして帰宅した。
桜木は三つのみにて 桜花多きはうちの一つのみ 昼過ぎの園静かにて ほかに人なし気兼ねもなしに
反歌
園にある碑(いしぶみ)読めば朝霞にて出た土使ひ田圃を埋める
昔、六辻交差点南東側が1mほど低く水路跡がわずかにあった。辺りはこの標高だったのかと想像したが、なるほど朝霞浄水場で発生する土で埋め立てたのかと分かった。
(4.14追記)本日も昼に母を公園に連れて行った。石碑を再度読むと、朝霞浄水場掘さく(今は削の字を使ふが、昭和48年は鑿が普通なので、平仮名にしたのだらう)の土で、それなら合点が行った。浄水場から出る土は、砂だ。本日は桜が半分ほど散ったが、今が散る最盛期らしい。ひなたぼっこの間も、次々に落下した。
桜の木 花の盛りが過ぎたのち 今が花散る盛りにて 気は賑やかに下は華やか
反歌
公園に桜木眺め無常花無常の土を見て家路へと
四月十二日(金)
昨日は、安売りスーパーへ行った。土曜から来週金曜まで改修で休業するので、ここでしか買へないものを買ふつもりだった。商品が八割方であとは空。買ひたいものは無かったが、代替製品があった。いつもより来店者が多いのは、休業前に買ふためか。
休業の二日前の日来てみれば 商品一部無くなりて 来店客は多めにて 鶴見時代にスーパーの廃業前を今思ひ出す
反歌
鶴見では三つ廃業遭遇し住宅地にて駅遠く共働きの幕開け期にて
共働きだと、駅敷地内か駅横のスーパーで買ふやうになる。あれから二十年経った。(終)
(見沼代用水と地元の話題、六十九)へ
兼、(見沼代用水と地元の話題、七十一)へ
メニューへ戻る
うた(八百三十六)へ
うた(八百三十八)へ