二千二百七十六(和語のうた)閲覧注意メモ書き歌(異常気象、再雇用後、替へ歌に反歌、埼玉昔と今)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
三月二十一日(木)
朝、洗濯物を干すのは小生の担当だ。寒いと
手が痛く 春のなか日の次の朝 寒さ戻りて嬉しさも 星の暑さはまだ戻れるか
反歌
滅びるの前は揺らぎが多くなり 寒さ揺らぎの大きさ示す
八時過ぎに地震があった。埼玉県と群馬県の県境付近は、震度5弱。
土が揺れ 警(いまし)めの音鳴り響く これは揺らぎに非ずして 土の下にて四つほど板が移りて歪みを起こす
反歌
土の揺れ大きなものは五つほど小さなものは数知れずあり
六十八年間の数値。四つのプレートが移動する。
風強くこれも揺らぎか 昔には春強き風珍しく 今年これにて五つ目となる
反歌
強き風物が飛び来て飛び去りて紙などごみは飛び来たるのみ
我が家では、物干しにあったサンダルの片方が無くなった。新しい物を買ったら、今回の強風で無くなった片方が泥だらけで出て来た。無くなったあと庭は探したのだが。
昼前に働くことは昼過ぎを楽しく過ごす技にして 働かざるは昼夜を問はず働く事と同じに
反歌
数へでは次七(なな)十(そ)歳だが若くそれは心の中のみとして
体は年齢相応に歳を取ったかな。
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三月二十二日(金)
朝、京浜東北線が荒川を渡るときに、富士山の上部が少し見える。かつては下まで見えたが、ビルが増えたため、九合目から上だけになった。「富士の山」の替へ歌と反歌を作った。
頭をビルの上に出し 周りのビルが取り囲む ビルは低いが近き故 富士は東京一の山
反歌
荒川を渡る時にはよく見えた昔の富士は今や上のみ
昭和四十七年に浦和へ引っ越した。そのときは
荒川を渡る時には 富士の嶺と秩父の山がよく見えた 今はどちらもあまり目立たず
反歌
昔でも富士の嶺いつも見えるとは限らず秩父ほぼ見えるあり
秩父が見えないのは、かなり曇ったときだった。
お手洗ひ 汲み取りまたは各家に水から汚れ取る仕掛け 汲み取り風でくるくると回り臭ひを外へ出す 仕掛けは風を水へ入れ活きた泥にて汚れ取り去る
反歌
荒川に仕掛けの館作るのち汲み取り及び仕掛け無くなる
水から汚れを取る仕掛けとは浄化槽。見ると、びしゃぴしゃと空気を汚水に送り込む。すると水中の酸素を微生物が利用して、汚物を吸着または分解した。微生物の塊を活性汚泥と呼ぶ。下水処理場も原理は同じ。
下水処理場ができてから各戸にあった、排気塔の風(かざ)車(後には電動の排気装置)や、浄化槽が姿を消した。埼玉が東京と変はらなくなったのは、これらが無くなったためだ。(終)
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